わたしに向かって、 「あなたとは気が合う」 と、おっしゃるスズさんは、おんとし百歳。 戦後まもなく建てられたという、庶民的な日本家屋でひとり暮らしをしている。 ガラガラと音を立てて、すりガラスの引き戸を開けると、白壁の玄関。土間に、少し高さのある上がり框と作り付けの下駄箱。家に上がって右手の襖をそっと開けると、4畳半ほどの居間で、小さなソファにちょこんと座ったスズさんが待っていてくれる。 スズさんが日中を過ごしているこの居間の奥にはお勝手、そのまた向こうにお風呂場やお便所がある。左手の縁側になっている廊下に沿って、和室が二部屋。二間続きの奥の部屋が、スズさんの寝室らしい。少し開いた障子の影から、ポータブルの手すりと、その横に布団が敷いてあるのが見える。エアコンやガスコンロ、冷蔵庫など、いまどきの家電もあるけれど、ほぼリフォームはされていない。昔のままに住み続けているその家は、現役の古民家。まるで昭和の前半に迷い込んだみたいだ。 家の中はすみずみまで磨き上げられているわけではない。けれど、目も耳も膝も悪いスズさんなりに手のとどくところを、毎日少しずつ掃除し、片づけて、暮らしの場を整えている。
「こんにちは」と言いながら、軽く会釈をして、スズさんの前に正座して座る。 スズさんも「よろしくお願いします」と笑顔で答えてくれるけれど、耳ではほとんど聞こえていない。わたしはタブレットをとり出して、筆談アプリを起動すると、 「今日もよろしくおねがいします」 と音声入力して表示し、スズさんに見せた。スズさんはニコニコとうなずいている。 「体調はおかわりありませんか」 「お食事は摂れていますか」 など、体温や血圧を測らせてもらいながら、いつものように筆談でたずねていく。毎週のお決まりみたいなものだ。スズさんは、ゆっくりとはっきりした声で、 「いつもとおんなじよ」 「朝はパンと紅茶とリンゴを食べました。昼はサラダとごはんの残りを食べるつもり。食欲があるってわけじゃないけど、たべなきゃいけないからねえ」 変わらない毎日をすごしている。 それはきっと、いいことなのだ。 わたしはいつものように、足湯の用意をするために立ち上がった。
以前は看護師と一緒に、家の周りを散歩をしていたというけれど、今はお誘いしても、散歩はいいわ、と首を振り、外に出ることはほとんどない。買い物はヘルパーさんに頼んでいる。外出するのは、月に一回、隣町の総合病院を受診するときくらいだ。 近くの往診医に変えてはどうかとの話もあったけれど、首を縦に振らなかった。スズさんは、親子ほど年の離れた弟さんが付き添ってくれる、その月に一度の通院を楽しみにしている。 スズさんは六人きょうだいの長子で、弟さんは末っ子。まんなかのきょうだいたちはすでに故人となり、いちばん上と、いちばん下の二人が、お互いを気遣いながら生きている。スズさんがお嫁にいくとき、まだ五歳だった弟さんは「ねえちゃんはいつ帰ってくるの」と泣いていたという。 「ねえちゃん、ねえちゃんってほんとうに可愛かったわよ。少し大きくなったらガキ大将になっちゃって」 と、目を細めるスズさんの話は、 “瀬戸の花嫁” だと思った。
スズさんの趣味は俳句。通信講座も受講していて、月に一回、休まず課題を提出している。いつもはへルパーさんに課題の投函をお願いしているけれど、一度だけ、切手を買い忘れたからと、投函を頼まれたことがある。赤ペンで丁寧に添削された課題を見せてもらったこともある。びっしりと講評が書かれていたが、添削の先生は受講生が百歳だとわかったら、さぞかし驚くだろう。 窓際に、弟さんが持ってきてくれる俳句の本がずらりと並んでいる部屋に、お湯をはった洗面器を運ぶ。半分に割った入浴剤を入れて、くるくるお湯を混ぜると、湯気がほのかに香った。 ちゃぷん。 足を片方ずつ湯に浸しながら、 「わたしは文学が好きだったの。文学少女ね」 と、スズさんは言った。 「文学が好きだから、俳句にも関心を持つようになったんですね」 わたしがたずねると 「そうね、特に俳句が好きってことじゃないんだけど。文学では詩が好きだったわね」 詩、か。必死に頭のなかで、詩人の名前を探る。このあたりにゆかりの詩人は… 「あ、北原白秋。“城ヶ島の雨” とか」 スズさんは嬉しそうに 「北原白秋はいいわね。私は 『落葉松』 が好き」 とほほ笑んだ。 落葉松なら、わたしも知っている。たしか、中学校の国語の教科書に載っていた。 「落葉松、知ってます。ちょっと寂しい感じがする詩ですよね」 「そうね。あの余韻みたいなものがいいのよね」 そう言うと、スズさんは、落葉松をそらんじた。 自然に口からついて出る詩の一節一節は、スズさんそのもののようだった。
それから、とスズさんは続けた。 「百人一首も好きね」 一番から百番まで順番に、作者と歌を覚えているのだという。 高校の古典の授業で、いちどは百首全てを覚えさせられたが、テストが終わったとたんにきれいに忘れてしまった。いま覚えているのは有名な歌、いくつかだけだ。 スズさんは、どの歌が好きなんだろう。
「眠れない夜は、一番から順番に、百人一首をひとつずつ詠んでいくの。そうすると、いつの間にか眠ってしまうのよ」
なんだか、軽い不意打ちをくらったみたいな気がした。 ひとりの夜に、ふとんから頭を出し、百人一首をこころのなかで、順にたどっていくスズさんを思い浮かべていた。 「へえ。羊を数える代わりに百人一首を数えていくなんて、なんだか風流ですね」 スズさんの寝所には、いにしえの風が流れているのかもしれない。 「ながながしよを、ひとりかもねむ、ですか」 と、ふと思いついた句を言いながら、上の句はなんだったっけ、と思い出せずにあせっていると、 「あら、あなたも百人一首を知っているのね」 とスズさんの顔がぱっと輝いた。 嬉しそうなスズさんの様子に、ますますあたふたしながら、 「いえ、知っているというほどでは。子供のときに従姉たちとかるた取りをしたり、学校で暗記させられたりしましたので。今じゃ、上の句と下の句がバラバラで、繋がりません。作者も覚えてないし」 言い訳をするように答えた。 しかし、そんなことにはお構いなしに、スズさんは言った。 「長々し夜を、の上の句は、『あしびきの やまどりの尾の しだり尾の』よ。 柿本人麻呂、三番。」 ふくふくとして話すスズさんを前に、すばらしいですね、としか言葉が見つからなかった。 かすかな記憶をたどって、わたしが百人一首の句のかけらを絞り出すと、スズさんがのこりの句を当てはめて完成させてくれる。それは、一緒にパズルのピースをあてはめていく遊びのようだった。
あの日から、足湯をする時間はスズさんと百人一首や文学の話をするようになった。スズさんは明治の文豪、とくに島崎藤村が好きだったと教えてくれた。 「『椰子の実』は、知っているかしら」 「ヤシの実、知ってますよ。歌ですよね。実が波に揺られて遠くへ行く歌」 「そう」スズさんはニコニコとうなずきながら、 「あれは、藤村の詩なのよ」 と、教えてくれた。 わたしは驚いて言った。 「椰子の実、藤村だったんですか。知らなかった」
そういえば、と、明治生まれの祖母を思い出した。祖母はわたしたち孫が集まると、独特の言い回しで百人一首の読み手をしてくれた。よく本を読んでいて、源氏物語を原文で読んでいた。古典の授業に四苦八苦していたわたしは、私の代わりに、おばあちゃんに古典のテストを受けてほしい、なんて思っていた。 百人一首に詳しいスズさんは、源氏物語は読んだのだろうか。 「スズさんは、源氏物語は読みましたか」と、なんの気なく聞いてみると、意外な答えが返ってきた。 「あれは、夜這いの小説だから」 若い女性が読むものではないと思っていたという。 だから、スズさんはついぞ『源氏物語』を開かなかった。
ある日、いつものようにスズさんの部屋に入ると、スズさんは膝の上に小さな本をのせてソファに座っていた。そして、待っていましたというお顔をして、嬉しそうに、でも、どこか厳かに、 「これを、あなたにさしあげます。あなただけよ。ほかの看護師さんにはないものだから」 と言って、本をわたしに手渡した。それは、百人一首の解説書だった。 「弟がね、同じ本を持っているのに、忘れてまた買ってきてしまったの。二冊もっていても仕方ないしね」 窓際に並ぶ本の一冊に、同じ本がある。 「文学少女のあなたなら、喜んでくれると思って」と、スズさんは微笑んだ。 えっ。 スズさんの半分程度の歳のわたしは、少女、ではない。文学のことも、学校で学んだ文学史をうろ覚えで知っているくらいだ。だけれど、スズさんのなかのわたしは、文学少女なのだった。 本を託してくれた嬉しさと、スズさんの思いに釣り合っていない後ろめたさがぶつかりあって揺れた。そして、ようやく 「ありがとうございます」と、お礼を伝えた。 そんなわたしを知ってか知らずか、穏やかにスズさんは言った。 「あなたとは、気が合うわね」そして、ふふ、と小さく笑った。
スズさんが起き上がれなくなったと連絡があったのは、あれから、しばらく後のことだった。 前の日、弟さんと月に一度の受診に出かけた。いつもなら、病院の中は自分で歩いて移動するスズさんが、その日は車椅子を借りたのだという。心配した弟さんは、その夜、スズさんの家に泊まった。そして翌朝、布団から起き上がれないスズさんを見つけたのだった。 訪問したときに、風呂場の蛇口が締めきれずに水が浴槽からあふれていたり、ガスコンロの安全アラームが鳴っていたり、といったことが増えていた。大事には至っていないものの、一人暮らしを続けることが難しくなってきたのは明らかだった。 いままで度々、弟さんや地域の福祉担当者から、デイサービスの利用をすすめられていたスズさんだったが、 「家にいるのがいちばんいい」 と、受け入れることはなかった。 だんだんと足腰が弱くなっていく様子に、布団をやめて、寝起きや立ち上がりの楽な、ベッドを取り入れてはとの話もあったが、 「布団がいい。」 と、寝室にベッドを置くことを拒んだ。スズさんの意思は、岩のように割れることはなかった。 一方で、 「歩けなくなったら、そのときは」 と、スズさんは言っていた。
言葉のとおり、今、スズさんは、百年を暮らしてきた町のホームの一室で、ベッドの上に横たわり、天井を見つめて過ごしている。 スズさんと過ごした時間が、沈むように日常に埋もれていく。 わたしはまだ、一度も会いに行けていない。 「ここだけのことよ」と、本までくれたのに、机のすみに置かれたままだ。
落葉松をそらんじた口からは、「うう」と、独り言なのか、苦痛なのかわからない言葉がもれていると聞いた。 誰か、スズさんに詩を読んでくれる人はいるのだろうか。 それともベッドの上で、百人一首を子守歌に、ひとり自分をなぐさめているのだろうか。
スズさんがいにしえの風に包まれていますように。 心の中でとなえながら、わたしは机の上の、まだ開いていないその本にそっと手を触れた。