17世紀オランダの哲学者スピノザ。主著『エチカ』では、人間が感情に振り回される状態から、理性によって自分と他者のあり方を理解し、より自由に生きる道を探究した。
感情の模倣
僕たちが通常イメージする愛は、もっと特別なものだ。自分を超えて他者を思いやること。見返りを求めず、相手のために尽くすこと。
スピノザの愛の捉え方は、そうしたイメージに比べると非常にラディカルだ。愛を、人間の本性を超えた崇高なものとして扱わない。『エチカ』第三部の感情の定義において、愛とは外部の原因の観念を伴う喜びである。
その根底には、人間の活動力能についての考え方がある。
スピノザによれば、あらゆるものは、自らの存在を維持しようと努める。この努力をコナトゥスと呼ぶ(第三部定理6・7)。人間においても、この努力は欲望として現れる。そして、僕たちの活動力能が増大するとき、僕たちは喜びを感じる(第三部定理11およびその備考)。
愛もまた、この基本原理から理解できる。外部の何かを原因として喜びが生じ、その原因の観念と結びつくとき、僕たちはそれを愛と呼ぶ。
では、この原理のもとで、他者とはどのような存在なのか。
ここで重要になるのが、スピノザのいう「感情の模倣」である。
『エチカ』第三部定理27で、スピノザは、自分に似た他者がある感情に動かされていると想像するとき、僕たち自身も同じような感情に動かされると論じる。
僕たちは、他者の感情を直接読み取るわけではない。他者の身体や振る舞いを、自分に似た存在のあり方として想像する。その想像が、僕たち自身の身体の変状と感情を引き起こす。
人間同士に共感が生まれることも、この原理から説明できる。僕たちは身体の構造や感情のあり方において互いに似ている。同じ人間という類に属する存在だからこそ、他者の感情を自分自身の感情として経験できる。
ここで重要なのは、他者の喜びを想像することが、僕自身の喜びにもなるということだ。僕は他者の活動力能の増大を直接感じ取るのではない。自分に似た他者が喜んでいると想像することで、僕自身も喜びに動かされる。
この感情の模倣は、他者と同じものを愛したいという欲望にもつながる。
第三部定理31の系では、他者が自分の愛するものを愛していると想像すると、そのものへの愛が強まると論じられる。さらに定理31の備考では、自分の愛するものを他者にも愛してほしいと望むことが、野心とも結びつけられている。
僕たちは、自分が愛するものを他者にも愛してほしいと望む。他者と同じものを愛することで、自分の愛が強まり、喜びが増すからだ。
愛は他者に向かう。しかし、他者が同じものを愛することによって喜ぶのは、僕自身でもある。
僕たちはなぜ他者と同じでありたいのか。
それは、他者との一致が、僕たち自身の喜びを増大させるからなのだ。
理性と他者への配慮
しかし、他者と同じ感情を持つことと、他者のために行動することは同じではない。
『エチカ』第四部定理50の備考で、スピノザは憐れみについて論じている。憐れみとは、他者の不幸を想像することによって生じる悲しみである。僕たちは他者の苦しみを見て悲しみ、その苦しみを取り除こうとする。ここには、感情の模倣によって他者の感情が僕自身の感情になるという、第三部の議論が引き継がれている。
ところが、スピノザは理性の導きに従って生きる人間にとって、憐れみはそれ自体として悪く、無用であると論じる。
これは、他者を助ける必要がないという意味ではない。スピノザは、他者を助けることと、他者の苦しみを自分の苦しみとして感じることを区別している。
理性に従う人間は、他者の不幸を自分の悲しみとして経験しなくても、他者を助けることができる。何が自分にとって、そして他者にとって有益であるかを理解し、その理解に基づいて行動するからだ。
さらに、定理50の備考の最後で、スピノザは踏み込んだ主張をする。理性によっても憐れみによっても他者を助けるように動かされない者は、非人間的と呼ばれてよい、というのである。
ここには重要な区別がある。
僕たちは、他者の喜びを自分の喜びとして感じることができる。似た他者の感情を模倣することで、他者と同じものを愛し、他者と同じであることによって喜ぶ。しかし、他者を助けるために、必ずしも他者と同じ感情を持つ必要はない。
感情の模倣は、人間が他者と結びつく仕組みを説明する。だが、それだけでは、他者と共に生きるために何が必要なのかを説明しきれない。
他者と同じものを愛することと、他者のために行動することは別のことなのだ。
ここで理性の可能性が見えてくる。
他者と同じ感情を持つことによってではなく、互いにとって何が有益なのかを理解することによって、僕たちは他者と共に生きることができる。
愛や共感は人を動かす。しかし、他者への配慮をそれらの感情だけに委ねる必要はない。
他者と同じ感情を持つことは、他者と共に生きるための唯一の条件ではない。スピノザの理性論は、感情の一致とは異なる仕方で他者と結びつく可能性を示している。