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SUMMARY — 時系列要約

永原レキとの対話④ — 要約(第一部:7/5分のみ)

日付: 2026年7月5日〜7月6日
参加者: 永原レキ(レキ君)/ 長沼敬憲(まこりん)/ きょん2


⚠ この要約は7/5 15:51〜の第一部のみをカバーしています。7/6の第二部・第三部の要約は未作成です。

要約(時系列)

・〔前回の振り返りとチェックイン〕
 まこりんが進行役として、国永先生のInstagramを偶然見つけて、その充実した内容と日々の投稿から、倉敷から海陽町への移住を追ったこと、そしてそこにレキ君も多く登場していることに気づいたと述べた。まこりんは半日かけてそれらを拾い集め、深いつながりを感じ、今日の話を聞くことでさらにレイヤーが重なると期待していると語った。

・〔レキ君のコンディション報告〕
 レキ君は朝からとどろき神社のお幹の酒作り用お米の田んぼの草刈りを7時半から昼までやっており、フラフラの状態だが切り替えて参加すると述べた。また、自分は間が空くと頭が分解する感覚があり、話し始めると集中して話すが、冷静に見返すと自分でも理解できなくなる傾向があると自己分析した。

・〔きょん2のコンディション報告〕
 きょん2(キョンキョン)は週末の日曜日にトラちゃんが2泊で家に来ることになっており、広くない家にトラちゃんが住めるお部屋を準備中でアトリエも開放していると述べた。トラちゃんががっつり仕事モードになっているので、その日で方向性が決まるかもしれないと話した。

・〔きょん2の人間関係の最近の動き〕
 昨日エミさんと1時間電話で話し、キョンキョンさんの話をしたこと、またマサゴさんにエミさんから本を預かっていることを報告した。ルミナさんについても、徳島の剣山の方に祈りに来るみたいで来年になると述べた。また、海南病院のケンジさんが今日鎌倉にいて、昨日広瀬カオルさんと会ったこと、その後サーフセラピーで彼に会うという話が出ていたことを共有した。

・〔廣瀬カオルさんの漢方診療と庭園整備プロジェクト〕
 カオルさんが自宅で漢方の診療をすることになり、その家の周りを大地の再生したいということで、矢野さんの妹さんのたえ子さんと一緒に色々やっているときょん2が述べた。山と家がつながっている場所で刈り込みを見ていたこと、ちょうどその時に国永さんがケンジさんとこれから会うんだよみたいな話だったというタイミングの面白さを感じたと述べた。

・〔医療とファッション・オーガニックコットンの連携〕
 神田恵美さんは広瀬さんに会ったことがないが、恵美さんはオーガニックコットン衣と、綿とファッションと女性のビューティーのところでやっており、医療ともっともっと繋がったらいいなという話を昨日したとレキ君が述べた。衣食住の中で衣食はあるが、着るものも薬だという概念が日本ではあまり寄りないのではないかと問題提起した。

・〔一次産業・医療・文化の統合的視点〕
 レキ君が、食べるものが医療と直結しているのは国永先生とか広瀬さんのような医者も認識しているが、エネルギーもそうだし住宅建築もそうで、すべてが一次産業だと考えると、一次産業と医療がちゃんと結びつく必要があると述べた。医者とファッションの人とシェフと設計師、フリーエネルギーの人たちが一緒に解釈情報共有していく機会を作らなきゃいけないと感じていると語った。

・〔対話と場作りの重要性〕
 対話は普通どこでもできるが場がすごく大事で、空間が住環境だったり地域の環境だったりすると波動的にレベルが高い場を作れば、ポテンシャルが開花しやすくなり健康にもつながるとまこりんが述べた。条件設定をどう現実の中でやっていくかは、いろんな分野の人と通じ合わないと部分的にしかできず、各分野の専門家が手元足元にフォーカスしつつも、全体を俯瞰する人たちが必要だと説いた。

・〔蜂須賀公と阿波藍の商人による俯瞰的統合〕
 蜂須賀公や阿波藍の商人という政治家と経営者が、それぞれの役割を見ながら、「この人がこれで困ってるんだけどあの人のこれだったらこうしたらいいんじゃないか」と引いて見る立場だったとレキ君が述べた。その人たちが政治家であり、何かに属さない存在として、お金も稼がなきゃいけないから自分は経営者じゃないと思っているが、昔はお金以外の部分が強かったはずだと述べた。

・〔政治への出馬と経済的挫折の経験〕
 レキ君が、25歳で帰国後にそういう感覚が芽生え、30歳で政治家選挙に出たこと、31歳の時に子供が1歳くらいの時に離婚されたという辛い経験をしたと述べた。その時に自分の能力を使って一番金稼げるのは政治だと思ったが、結局落選してしまい、その後経営者としての経験値と能力が足りなかったこと、お金のバランスシートが見えていなかったことに気づいたと語った。

・〔トータスでの社員経験と藍染め業界との関係〕
 30歳で子供ができたのをきっかけにトータスに就職し、給料が安いという問題もあったが、その給料の安さが妻との関係に影響を与え、結婚前に価値観がずれていたこと、妻が神戸の親孝行をしたいがお金がないという状況を述べた。妻との喧嘩が絶えず、子供がかわいい時に突然いなくなったという大変な経験をしたと語った。

・〔トータスでの職人文化との葛藤〕
 トータスで6年程働きながらアートやクリエイティブから離れていく感覚を覚え、やりたいことがやり切れないという葛藤があったとレキ君が述べた。アーティストアートとクリエイティブの世界から、真面目な職人肩着の人たち、藍の歴史研究者たちの世界に移行していく中で、藍の勉強会もポスターが文字並べてるだけで誰も来ないという問題を感じていたと述べた。

・〔レクサスプロジェクトでのMVP受賞〕
 35歳の時にレクサスのプロジェクトで徳島県代表に選ばれ、小山薫堂さんや隈研吾さんなどの著名人がアドバイザーに入ったとレキ君が述べた。全国各地の匠とネットワークを作り、半年かけてメンターと相談しながら新しいものを作成し、最後に東京で発表するプロジェクトで、電通が資金を出していたと説明した。レクサスのやつで指定レキックが選ばれたということについて、変でしょとしながら大きい話だと述べた。

・〔トヨタレクサスプロジェクトのコンセプト〕
 レクサスプロジェクトは2016年に発足し、トヨタレクサスの正式名称はレクサス入宅民プロジェクトで、電通がトヨタレクサスに提案したものだとレキ君が述べた。トヨタのルーツがトヨタ食器という折り機であることから、ものづくりの原点に立ち返ろうという意図があったこと、SDGsが言われ始めた時期だったことを述べた。

・〔日本人特有のものづくりの精神性〕
 レクサスがなぜ世界で通用するのかを見直した時に、日本人特有の緻密なものづくりの基準と感性、機械では測れない0.何ミリの世界を職人が最後検査するなどの精神性が基礎にあるとレキ君が述べた。トヨタ自体が食器や織物の機械メンテナンスから始まり、日本人がものづくりに対して真面目である理由は各地に根付く伝統工芸にあり、匠と呼ばれる職人さんたちが代々培ってきたものが日本人の中に宿っていると知った。

・〔伝統工芸の衰退と経済の矛盾〕
 トヨタは売れているが、その礎になった伝統工芸は時代の流れの中でほとんど衰退していっており、林業や農業も同様に衰退しているとレキ君が述べた。経済を支えている企業が自分たちのルーツでもあるものに経済というか光を当てていかないといけないという問題提起をした。

・〔47都道府県での匠の選出と徳島での選定〕
 トヨタが全国各地に販売店ネットワークを持ち、電通とトヨタの各販売店の47都道府県のレクサス販売店と地方新聞社が基本的に匠の選出から始めて、各都道府県の情報を集めてコンペしてとうい形で進むとレキ君が述べた。徳島だったら徳島新聞社と徳島レクサス徳島トヨタが関わり、人の選ぶところから決まってからはサポートをするという流れだと説明した。

・〔レキ君が選ばれた経緯と当初の複雑な感情〕
 レキ君がたまたま徳島新聞から若手で藍染で行こうという話が来たが、当時から自分は職人じゃないと思っていたため、職人本当に畑から染めまでやっている人たちを推薦したと述べた。しかし徳島新聞の担当者がまこりんを選び、サーフボードの愛というのが一つあったのか、異端児的だったから多分だと述べた。最初は断ったが、結局押されて受けることにしたが、結果的にMVPみたいなの取れたのでよかったと語った。

・〔レクサスでの受賞作品のコンセプト〕
 レキ君の作品はサーフボードに藍染めの生地を、グラデーションで落とし込み、空と海で自分のふるさとの空と海を表現したものだと述べた。海外で暮らしている時のホームシックから世界と繋がっていることを感じ、天然の藍で地元帰ってから泡の藍文化でやった時に、染める回数や染料の状態でグラデーションが出せたと説明した。

・〔空海と四国遍路の融合〕
 その空海という四国広報大使、藍だけじゃなくてお辺路というのも徳島で四国で重要な文化だと思ったこと、作った人の名前も空海であること、3つの柱を一つのサーフボードに落とし込んだとしてレキ君が述べた。小山薫堂さんがそれをすごく良いと評価してくれて、電通の先輩たちが面白がって上げてくれたと述べた。

・〔技術より概念的価値の評価〕
 レキ君は技術的なことをもっと一生懸命やってる人たちが出たらいいと当時は思っていたが、技術的な話で言ったら全然誰でもできるし、藍染めのグラデーションやサーフボード作りは師匠である千葉光平さんや職人さんたちがやってくれており、自分はただ藍を染めてボード工場に指示してやってもらうだけだと述べた。まこりんがコンセプチャルなところですごいハマったんだと評価し、そのメッセージがはっきり伝わると応じた。

・〔藍業界からの批判と複雑な感情〕
 レキ君は評価されることによって世に出ることで、徳島県内の藍住の職人さんたちや権力のある人たちから、トータスとともども叩かれてきたと述べた。トータスが簡易な染め技術(乾燥葉染め)を開発して普及させようとしていたことが、伝統的な悪発酵のすくも藍染めの人たちから激しく叩かれていたと述べた。

・〔簡易藍染め技術と伝統の対立〕
 トータスの亀ちゃん(上司)が補助金を使って価格を下げ、天然藍のものを広めるために、本藍染めのものは他の福祉施設で染めてもらい、乾燥葉染めを社内で確立しようとしていたとレキ君が述べた。当時わかっていなかったが、伝統的藍業界の人たちは厳しくて、後になって思うとトータスにも説明不足があったという落ち度があったことに気づいたと述べた。

・〔SNSでの全国規模の批判〕
 レクサスで結果が出たときに、県内だけじゃなく県外に飛び火して、全国で藍にかかってる職人さんたちがSNSで世も末みたいに言ったとレキ君が述べた。その批判の中で、プロセスと独立というのが全部リンクしてるような形になっていったと語った。

・〔独立とお遍路への決断〕
 レクサスが決まった時は独立するのが決まっていて、36の時に独立、会社辞めて独立すると言っていたとレキ君が述べた。MVPになれるって思ってなかったが取れて、ちょうどその時IBB(スタジオ)の改装も始めていたので忙しかったが、東京で受賞して帰ってきてトータス退社して、1ヶ月時間空けてお遍路に出たと述べた。

・〔お遍路に出た理由〕
 プロジェクトで空海の話をしてきたが、自分がお遍路やったことないのが引っかかっていたので、やったことない奴の言ってることって信じられないと思い、お遍路に出たとレキ君が述べた。藍や法制業だけじゃなく、サーフィンや空海お遍路という多角的にやっていきたかったが、藍と並ぶ2つ重要なキーコンテンツがサーフィンと空海だったと述べた。

・〔スケートボード遍路の実行〕
 35日かけて一気に歩いた感じで、スケートボード遍路だったとレキ君が述べた。ほとんど歩いてなかったが、ただただ遍路するのも面白くないので、行く先々に自分のメッセージを伝える旅にしたかったと述べた。アイで染めたゴーヘンプの服、ライドバッグ、靴はキーン、パタゴニアのレインコートなどでサポートしてもらったと説明した。

・〔ラジオ配信と情報発信〕
 週1回徳島のラジオとも話をつけて、週1回オヘンロンラジオ生出演をするなど、いろいろ仕掛けていたとレキ君が述べた。一番自分が伝えたかったサーフィンという文化について、サーフボードを持って歩けないから飛騨の木でサーフボードやスノーボードを作る友達がスケートボードを作ってくれて、アイで染めた生地貼り付けて空海のグラデーションのスケートボードを作ったと述べた。

・〔遍路の過酷さと野宿生活〕
 大体山道で結構スケボーも重く、テントが1.3キロだったのに対しスケボー2キロぐらいあり、5日目でテントを家に送り返したが、スケボーは維持して以降は泊まるとこが野宿だったとレキ君が述べた。お堂で泊めてくれたらラッキー、知り合いがいるところは泊めてくれたり、なければトイレとか山奥で寝たりして、真冬の2月に雪の中で死ぬかと思ったと述べた。

・〔本来の遍路文化への共感〕
 本当の遍路はなんか昔の長浦の四国の巡礼は寝なしぐさで行き当たりばったりで、基本野宿で行くものが巡礼だということ、ただお金なかっただけだが、それをやれて無事に帰って、すぐにお店を立ち上げるというとこに至ったとレキ君が述べた。

・〔聖人という言葉の定義とそれぞれの背景〕
 まこりんが、政治という言葉が出て、お金とか経済、ちょっと普通の人が使うニュアンスと違うものも加味して使ってるから、それが歴史とかの話とも相当リンクしている気がする、レキくんなりの定義みたいなものがそれぞれの言葉にあると述べた。

・〔政治という言葉の複数の意味〕
 まこりんが、町会議員をやるとか思ったときの背景にあるその政治って言葉の使い方がちょっと普通の人が政治をやろうっていうのとまた違う、多少は重なるけど根っこは違うような感じもしたりして、全部につながってるような気もして聞いていたと述べた。

・〔政治への立候補と経済の限界〕
 レキ君が、31歳か32歳かな、選挙で出たのが、当時は藍の世界の藍商人、蜂須賀公の仕組みを回すということについてそこまで意識がなかったが、今考えるとステージが大事だったということは間違いない、そして今現代自分が生きながらやってることと歴史を紐解いて追ってるものが連動してると述べた。

・〔12年後の政治への態度変化〕
 本来は今年町会議員選挙があり、32歳の後に4年に1回あるから、前回、今年はだから12年一周回って12年ぶりに選挙があったが、3回目は見送ったこと、なぜならやっぱ経済という自分がそこに至ってないと思ったから、今回12年経っても結局ビジネス苦手だしあまりお金稼げてないと述べた。

・〔政治と一次産業の深い関係〕
 でもやっぱり政治のことは誰よりも考えてるし大事だと思ってる、藍の話する時もやっぱり絶対蜂須賀さんが出てくるとレキ君が述べた。政治と言って、今どきの政治家とかじゃなくていきなり蜂須賀になるってところが面白い、政治の見本みたいなものをそこに置いてるというかまこりんが述べた。

・〔祭りごと=政治の本質〕
 祭りごとという言葉で、祭りと繋がってて、祭り構成してるのって本当もう一時産業から音から音楽からあの踊りからもうあとアートから、祭ってめちゃめちゃ総合エンターテインメントだとレキ君が述べた。

・〔轟神社と水の信仰〕
 20歳帰国した27歳からあの藍染と同じタイミングで繋がったそのとどろき神社という地元の、とどろきの滝海風川の源流の海と山の民が守ってきた水の神様で、10だから今年18年目とかになるけどお祭りにずっと関わってきたとレキ君が述べた。

・〔複数の重要なキーワードの統合〕
 40歳ぐらいからその壮大もやってるし、空海もまだ来てないし、同時にやっぱお遍路とその愛と、もう1個そのやっぱ自分がやってきた中ですごい重要なキーワードがやっぱとどろき、水の神様の信仰とそれを信仰してきた海と山の民のつながり、水産業とか農業とか林業のつながりがあり、人たちが年に1回こう体現する祭りという存在の面白さで全部つながってくると述べた。

・〔古代の林業と海運の関係〕
 八塚さんが出てくる流れで、愛の話につながるんだけど、八塚さんとどろきの滝に八塚さんの殿様が来たっていう明確な記録はないけど、八塚に縁のある八塚家の関係する人たちがとどろき神社を参拝してたっていう記録は残ってるとまこりんが述べた。

・〔海部郡の政治経済的重要性〕
 徳島城がある徳島市からしたらすごい遠いところ、ここ海部は一応領土だからね、それは来るのは来るだろうけど、とどろきの滝ってさらに海部のこの島中心地からさらに何十キロも離れた奥地なのに、そこにわざわざ来る理由が、結局これ今の時代の僕らだからそこがわざわざってなっちゃうけど、多分昔の人からしたら超重要な場所だったから絶対行って当たり前みたいなかもしれないとまこりんが述べた。

・〔八塚さんと海運・林業の仕組み〕
 八重塚さん、森水軍という徳島の政治とか流通を支えてた人、愛称人とか森水軍とか八重塚さんって政治経済水軍で、海洋というのが前回の話ではすごい柱だったとして、その中でそれを支えてた海洋という船が必要で、船大工が扱う木材が必要、どんどん原点掘り下げていくとやっぱ山と木が必要だとまこりんが述べた。

・〔海風地域の戦略的重要性〕
 地域の一つが淡の海洋を支えてた根源を支えてた、地域の山の一つが海風があり、の山だったのに対し、そこがないと自分たちの商売も政治も動かせないというのがまずあり、自分たちの政治経済の拠点は徳島市内の方だけども、徳島城の付近だけども、ちゃんと海風には海風城ってお城があって、阿波区城って言うと述べた。

・〔阿波区城の機能と木材流通〕
 阿波区城は阿波の国内をちゃんと管理するための9つの主要な城が定められてたみたいなんですけど、阿波区城の一つが海風城だったとして、それも海風川の河口に立地してて立てられてて、海風川の上流から木が流されてくるんですけど、その木の流通の監視するためにも海風城っていうのが河口にあったとまこりんが述べた。

・〔一次産業従事者と神仏信仰〕
 それらの事業を営んでいるのは結局林業家で、この海風の地に住んでいる林業家で、その人たちがやっぱ大事にしてたのが、その自分たちの暮らす山であり農業であり、水産業でありを支えてくれている海風川って一つのライフラインがあり、その水をあがめるというか、その水の神様として、海風の水の神様に感謝するための場所として、源流域の滝のそばに神社と寺と昔から建ってたと述べた。

・〔祭りによる感謝と信仰〕
 毎年秋になったらその自分たち感謝の火を込めて、漁師と山師と一緒にお祭りをずっとやってきてて、やっぱ政治経済の偉い人たちはやっぱその下の支えているいろんな職人さんたちとか、一次産業従事者によって支えられているって感覚があり、その人たちが大事にしてるとこやから、やっぱ大事にしなきゃいけないという信仰というものがすごい大切にされてたんだと思うとまこりんが述べた。

・〔八塚の支援と神社建立〕
 八塚さんも神社を建てるのにお金なのか何なのか多分支援されていると思い、とどろき神社には八塚の万字マーク、万字の家紋が結構使われていると思うとまこりんが述べた。

・〔叩かれながら無意識に追求した真実〕
 いわゆる叩かれたり何やかんやっていうのは、徳島・吉野川流域のものやみたいな、あわあいっていうのは、そういう概念というか、風潮があるけど、でもなんか僕は直接愛染めしたりしないけど、ある意味愛という文化の産業の仕組みの中の一つに関わりはあると思うし、叩かれるながら、僕は徳島の南の人間や関係ない人間やって言われるのは腹立つから多分、自分なりにその鉄点を多分無意識のうちに探してたんだと思うとまこりんが述べた。

・〔無意識の行動から見える全体像〕
 意識してずにとどろきの祭りもお遍路も、聖地もそうだけど、あわあいのこと以外のいろんなことやってるから叩かれるんだけども、だけどなんか無意識のうちにやってきたことっていうのが、人に叩かれることによってなんであいつが何やってるか分かんないって言われるから、自分もなんでか分かんないけどやってるけど、なんでなんだろっていうのを探求意識しだすと、繋がりが見えてきたとまこりんが述べた。

・〔27歳の帰国ととどろき神社との出会い〕
 まこりんは27歳帰国してもすぐだったんですけど、その石骨院で働い