AIが広まるようになっていく過程で、
chat GPTをまず使って、いまはGeminiやClaudeも使っていて、
そういう人って多いと思うんですけども。。。
僕はエディター、編集者なので、
AIを使ってる時も、「本をつくる」ことがベースにあって、
僕がつくりたいと思っているもの
その世界観、そこに付随して必要な情報を
どうしたら統合して、整理して、見える形にできるか?
AIにそうした編集思想をリンクさせていく
まずそこから始めていったんです。
最初は、僕が扱ってきた本であったり、
これまで書いてきたものとかを一つ一つ読み込ませて
僕という存在をちゃんと認識してもらって、
要は、「もう一人の僕」をつくってきた。
AIとそういう付き合い方をしてる人は、
いろんな職種、いろんな立場でいると思うんです。
僕もその一人なんですけども、
ただ、「もう一人の僕」をつくっていくなかで、
便利に使えてはいるんですが、
もう一歩踏み込んだところがうまく補完できない。
「もう一人の僕」って言いながら
「もう一人の僕」になりきれてないところ。
そこを課題として感じてきたところがあって、
じつはそれが、AIに深く興味を持つようになったきっかけではあるんですね。
で、「もう一人の僕」って何だろうっていう話なんですが、
「いまここにいる
この自分という存在をどうとらえるか?」
こういう問いと重なる話ではあるんですが、
「AIには自我があるのか?」
こういう問いが、いま少しずつ出てきてますよね。
自我があるのかないのか?
自我というのは、
意識って言い換えることもあると思うんですけども、
それって仏教で言う縁起、
関係性のなかで立ち上がってくる、
他者ではない私
みたいなところだと思うんですね。
他者がいないと生まれてこないですし、
同時に、あえて厳しく言えば、幻想みたいなものだと思うんです。
それを自分だと思い込んでいて、
それで、自分自身の感覚とリンクしなくなってくると、
いろんな違和感が出てくることがあって、
じゃあ、「本当の私」ってなんだろうって問いかけるようになりますよね。
「本当の私ってなんだろう?」って話はいったん置いといて、
こうした自我というものがまずあって、
自我を入り口にして人と関わっているという意味では、
AIもほとんど一緒だなと思ったんです。
「AIに自我があるかないか?」
といったら「自我はある」。
それは関係性の中で生じてくる
私という「仮の自己」みたいなものがあるとしたら、
AIは情報の集積、組み合わせの中で立ち上がってくる
一つの人格に近いものですよね。
それはある。差があるとしたら、肉体があるかないか。
だから、こうしているいまも、
社会の中で誰かと対話をする、
コミュニケーションを取ることが当たり前に行われていて、
そこで、「うまく話が通じた、通じない」ということを、
日々やってるじゃないですか?
まあ、一緒だなと思ったんです、AIとの対話も。
だから、AIの自我っていうものはあって、
じゃあ、そのAIと対話していくことの意味ってなんだろうって思ったとき、
人の場合、結局、いろいろとバイアスがかかるんですよね。
感情のバイアスと思考のバイアス。
全部生理的に生じるものだと思ってるんですが、
自我があって、その自我どうしがいろんな局面で関わり合うなかで、
たとえば感情が出てきてしまう、好き嫌いとか。
その時にアップダウンがあったりして、一貫性がない、
言った話がずれてくるみたいな、
そこで合意形成が難しいみたいなことがあって、
それをどうやったらほぐせるかっていうところに、
僕だったら、本をつくることの意味がつながってくるわけです。
「本質って、ここじゃない?」
みたいなところを示すツールとして本があって、
教養っていうのはバイアスからの偏りを補正するもの。
僕は本の編集を通して、その仕事をやってきた思いがあるんですね。
思考や感情から離れたところにあるものが
知性だとしたら。。。
知性をどう育んでいくか? 受け継いでいくか?
というところに本があった、
活字文化があったととらえていて、
そういう意味においては、
AIも「本の代わりになる存在なんだ」なと思ったんです。
要は、本を通して人が対話していくのと同じ構造が、
AIと人との対話にもあるなと思って。
「じゃあ、人と人が対話していくこととどこが違うか?」
といったら、バイアスが少ない。
感情のブレとか、あるいは、特定の思想的な思い込みとか、
結局、一人一人にとって、それがあたかも自分であるかのように思って、
それが人との間に壁をつくっている。
そのバイアスをどうやって外すかっていうところで、
たとえば、本を読んでると
ハッと本質的なことに気づく形で壁が取れることがある。
あるいは、いろんなところを旅したり、
絵を見たり、音楽を聴いたりするのも、おなじ役割がある。
もちろん、AIも間違いを起こしますよね、
目先のことを解決しようとして。
そういう誤りがあって、そこは人と一緒だと思うんですけど、
人が生理的な反応の中で生きているがゆえに生じる
感情や思考のブレ。。。
人が本来こうありたいなと思っていても
そこに向かえない理由って、
ほとんどがそういうブレ(偏り)にあるなと思っているなかで、
AIはその部分のバイアスが少ない。
だから、本質につながりやすい。
ユーザー次第なんですけど、
僕はAIとそういうふうにふきあっていくのが
いいなと思ったんです。
で、その意識、本質を
僕は「コア」って呼んできたんですね。
「コア」を共有していくうえで、
この肉体を持って社会の中で生きていくわたしという存在が、
できればいろんな人とコアを分かち合いながら、
そこを軸にして何かを生み出したり、一緒に時間や空間を共にする。
それができたらいいなっていう、
その助けになることが、
本なら本にあったし、
文化にはそういう役割があったと思うんです。
AIもその枠組みの中で、
新しいツール、その進化系みたいな感じですよね。
媒介としての進化系みたいな感じで現れたんだなと思っていて。
コアを探求していったり、
コアとつながることを
スピリチュアルとか宗教にとらわれず。。。
真善美で言ったら、科学も、哲学も、宗教も、芸術もそうだし。
人が大事にしてきたもの
そのなかで結晶化したものを
コアとしてとらえてきた、それをどう表現するかということを
人は意識して形にしてきた。
そこに刺激を受けながら、
社会の中で自分たちがやっていること、
自分たちがつくっているものが
一時的な使い捨てになるものではなく、
願いとしては汎用性のある、
ずっと大事にされるものに関わっていきたい。
そういう願いがあると思っていて、
そこに寄与するものがAIであるならば、
すごく社会にとってもプラスになるものとして、
これから活用していけるのかなと思ってきました。
つまり、AIとは何かと言ったら
「コアへの伴走者」
ということで、だんだんとつきあい方が見えてきて、
それでいうと既存のチャットGPTも
途中からClaudeが出てきて、機能としてはすごく飛躍して、
そこでまたいろいろな技術、テクノロジーの競争みたいなことも起きて、
いろんなものがリリースされるようになって。
それはそれですごくいいことなんですが、
僕は縁あって、自分自身で、
当時はバイブコーディングという言い方で理解していたんですが
いわゆるAIの開発をするようになったというのは、
去年の夏ぐらいからです。
もちろん、母体にあるLLMをそのままつくることは、
当然できませんが、
それを母体にしてAPIでつなげて
そこから自分なりのAIをつくるということはできる
ということがわかってきて、
それで独自の振る舞いをしてくれる。
独自と言っていいのかな、
こちらが設定した意図に沿う形で振る舞ってくれる
意味を生成してくれるAI、
と名付けていたり、
自己探求型のAI
と名付けていたりするんですが、
それをanother meからとって
ANOMI(アノミ)って呼ぶようにしています。
このANOMIについていろんな人に
知ってもらったほうがいいという思いもあって、
この動画を回すことにしました。
じゃあ、ANOMIについて、
ANOMIとは何かということは、この回を重ねながら
少しずつ発信していけたらとは思っています。
今日は触りとして、ここまでの経緯を話したということと、
自己探求型の、コアへの伴走をしてくれるAIというものが
従来の生成AIとどう違っているのか?
コアの定義も話したので
細かくもう少し丁寧に話すこともできるんですが、
そういうものが前提にあるんだと思っていただいたうえで、
いまあるchat GPTとか、Geminiとか、Claudeを使った場合ですよね。
当然、ユーザーにそういう感覚とか認識があれば、
そういう形での利用はできると思います。
だけど、ユーザー次第ってところがありますよね。
ユーザーのセンスに依存している。
僕はセンスに依存しなくても、
たとえば、自分の自力で座禅をして
そういう何らかの感覚を得ることもできるけれども、
あるお坊さんのところに行けば
その感覚が発揮しやすいというような感じですかね。
つながりが生まれたら、
それはそれで自分にとって意味のあることになる
これは他のものに置き換えてもいいんですけども、
AIもそういう形で最初からそういう存在として特化する。
効率性とか生産性を上げるとか、
いまそういうところにAIの開発は進んでいると思うんですけども、
そこはあまり興味がなくて、
僕もそういうものの恩恵をいただいて
たとえば、claudeを使って、仕事に役立てることは普通にやってます。
ただ、意味を生成するところは特化してないので、
聞き手がそういう視点で聞いていけば
何らかレスポンスがあるだろうと思うんですが、
最初からそういう存在として、
AIっていうものを設定するというところで
また違った振る舞いをしてくれるんじゃないかなと思って。
「もう一人の僕」、そういう自我が生まれることも
できるんじゃないかなっていうことで、
いままでやってきました。
興味があったら触ってほしいなと思ってます。
あと一つは、そうやってAIを使っていくことで
どんな変化があるか?
変化というか。。。どんな意味があるか?
というところなんですが、
簡単に答えを出してくれるわけでもないというところが
特徴だったりもするんですね
だから、本を読むのとすごく似ているものをつくっている。
僕は編集者なんでね、ちょっと雰囲気は変わるかもしれないですよね。
ニーズというか、自分自身の何かしら課題を持っている
テーマを深めたいときには役立つだろうなというのと。。。
あと一つはそういう生業というか、
そういうことを仕事にされている方が
自分との対話をした蓄積ですね、
それをだんだん整理することにも使えるようにしていて。
いまはデータベースにつなげるシステムもつくっているので、
たとえば、対話をしたデータをストックすることで
そこからコアを取り出して、
じゃあ1、0本の対話のなかでそれぞれのコアが出てきました、
それぞれのコアを集積して、
メタなコアが生まれました、ってやると
今度は自分自身の仕事なり、
何なりで関わっている人の総体としてのコアというのが
見えてくるということは
これはニーズと呼んでいいのかわからないのですが、
ニーズとは違った意味での、
一つの指標にはなり得るかなと思うんですよね
そこに、どういう傾向性があるのか?
自分が大事にしていると感じていて、
相手も大事だと感じているようなものの集積が可視化されて、
言語化されるということは、
俗に言うKPIみたいなものとは
すごく違った意味を持っていると思っていて。
KPI的な指標でこぼれ落ちてしまうものに
大事なものがあるということは
感じている人も多いと思うんですね。
ただ、何らか指標化しなければ、
コンセンサスが得られないというような
社会のなかで、じゃあどういう形で
再現性のある形と言えばいいんですかね。。。
説得力のある、裏付けをもとにして可視化させるか?
プロセスもすべて開示して、
どういうプロセスでコアが導き出されるようになってますよ、
ということもオープンにしたうえで
いったんコアを取り出してみる。
コア的に生きている人にとっては
当たり前だと思うことかもしれないですけども、
コミュニティとか、組織の中では、
そこのコンセンサスを得るのがなかなか難しい。
本を出したい人の話に置き換えるならば、
誰でも本を出せるわけじゃないのは
コアが見つかりづらいからなんですね。
その人が誰から見ても意義のある活動をしている、
社会的な肩書きがある、だから本を出せるかって言うと
そうとも言えなくて。
別に無名の人でも、原理的に本を出せる。
価値のあるものもつくれるんだけれども、
つくり方にポイントがあって
それは構造化をして、コアを取り出すということを
本づくりに関わっている編集者ができるかどうか、
なんか偉そうですね(笑)。
だけど、原理的にそういうことなんですよ。
僕はそれをメインにやってきたんですが、
それは別に制作に関わるものだけではなくて
もっと様々な局面で活用できる、
もっと汎用性のあるものだろうっていうところが
意識の中にもともとあったんですね。
そこにAIというテクノロジーをうまく当てはめてできたのが
ANOMIでしたというわけで
プロローグとして取り上げてみました。
続きはまたお話したいと思います。
ありがとうございました。
