← 構成版に戻る
SUMMARY — 時系列要約

永原レキとの対話② — 要約

日付: 2026年6月27日
参加者: 永原レキ(レキ君)/ 長沼敬憲(まこりん)


要約(時系列)

・〔セッション開始:チェックインと心身の状態共有〕
 まこりんは「心境」を聞きながら進めようと提案。1時間前に国永先生と話していたが、5時に予定を変更してもらったことで気持ちがリセットでき、モード切り替わりを感じていると述べた。その後の対話の時間で自由に話し、後から構造化したものを比較するとつながっているかもしれないという期待感を示した。

・〔国永先生への呼び方に関する違和感〕
 まこりんは先ほどのセッションで国永先生という呼び方をしたことに違和感を覚えたと明かす。本人がどう呼ばれたいのか確認していないが、「先生」という呼び方よりも別の名称があるのではないかと思った。医療関連の本を作ることが多く、「先生」と呼ぶ癖がついていることを認めた。

・〔国永先生との会話内容と人物評価〕
 1時間前に国永先生と話した内容は、これまで海について何度も話していたが、今回は「国永先生という人の必然性」を感じたいという問題意識から始まったと説明した。医者でありながら医者ではない側面があり、肩を張らず自然でマイルドな人柄が、今日話す可能性のある海洋庁の風土性とマッチしていると感じた。

・〔国永先生の守備範囲の広さ〕
 国永先生は医療だけでなく、歴史、緊急救急・EDLP、地域の離島医療、予防医学・未病・統合医学、災害防災医療など極めて広い領域で活動している。それは本職の医療の中だけに留まらず、笑いや職人芸、歴史まで、360度包囲するような知識と経験を持っており、「一冊の本ができる人」だと評価した。

・〔医療関連本の出版と人物のコラボレーション可能性〕
 まこりんは医療関連の本が変わってきたこと、複数人のコラボレーションが実現しそうなことに驚いていた。レキ君も同意し、「このトラさんシリーズ以外で国さんとのコラボがすごい早々に実現しそう」と予感し、様々なコンテンツが生まれる可能性を感じていた。

・〔本の素材化と内容の抽象性の課題〕
 レキ君は自分たちの話す内容が抽象的で広すぎて、誰が興味を持つのか分からず、本にしても売れそうにないと感じていると述べた。一方、国永先生の話題は災害医療や予防医学など社会が注目している要素がど真ん中にあり、すぐに本になりそうで売れそうだと感じている。国永先生本人は「まだ2年しか経っていない」と出版をまだ早いと言っているとのこと。

・〔対話を通じた言語化と思わぬ発見〕
 まこりんは、対話という作業を通じて本人の中でつながっていなかったものが現場でつながる面白さを指摘。話者1も同意し、そうした場を設けることで思いがけない言葉がスルスル出てきて、「これとこれが実はつながっていたんだな」という気づきが生まれると述べた。

・〔予定調和を避けた対話の価値〕
 まこりんは、知っているものの外にあるものから化学反応が出てくると期待しながら、ふわっとした期待を持って場を作っていく重要性を述べた。また、「予定調和しすぎずみたいな」とつけ加えると、レキ君は「こっちもまだ未知数だけど楽しみ」と応じた。

・〔今日のテーマ設定:空海と愛、四国のネットワーク〕
 まこりんは今日話す内容のテーマを「空海、忌部、空海、三本柱から見える四国の見えないネットワーク」と設定したと述べた。レキ君は「忌部」というより「海部」という言葉の方がふさわしいのではないかと提案。サーフィンと空海、阿波藍が複雑に絡み合う内容のようだが、具体的な接続はまだ聞いていないとのことで、その詳細をレキ君に求めた。

・〔話者1のサーフィンとの出会い:家庭環境とトラウマ〕
 レキ君の父親はプロサーファーで、4歳で離婚して別れたが、それ以前のサーフィンの記憶は恐怖心に満ちていた。父親が海に連れて行き、波に押されて転けて溺れそうになり、父親が笑っている顔を見た時に「こいつ最悪だ」と思ったという。その後、経済的な困窮や父親の問題行動から、サーフィンと父親を強く嫌い、海からも遠ざかっていた。

・〔地元の川での水泳文化と海からの距離〕
 レキ君の地元・四国の海陽町でも、不思議なことに子どもたちは海ではなく川で泳ぐのが常だった。シシクイ川が水泳の教室で、中学校の体育の時間も川で行われたほどで、ライフガードもいない自然な環境の中で、逆に水に慣れるという良い授業だったと振り返っている。

・〔中学3年生の転機:仲間とのサーフィン開始〕
 中学3年生の夏、総体で負けてやることがなくなった時、サーフボードを持つ友達の父親のボードを借りて、18人の男子仲間が急に海へ行き始めた。レキ君は行きたくなかったが、仲の良い仲間たちと遊ぶため自然に参加することになった。初日から波に乗れた(テイクオフできた)ことが電撃的な体験となり、その夜から人生が変わった。

・〔高校選択への影響と学校との対立〕
 サーフィンにハマったため、進学校(市街地)ではなく商業高校(海の近く)を選択。この決定が人生の歯車を大きく変えた。高校では海でのサーフィンで日焼けして髪が茶色くなり、学校のドレスコード規制と衝突。黒いスプレーで毎回対応を強いられ、理不尽さに直面し、それに対抗するために勉強しまくることで学年トップを維持し、先生たちを黙らせようとした。

・〔サーファーのイメージと自分の正当性の証明〕
 既存の社会が思い描くサーファー像(不良など)になりたくなかったため、勉強で自らの正当性を証明しようとした。この体制に対する斜め見や常なる批判的視点は、幼少期の不規則な家庭環境から形成されたものだった。サーフィンを通じてその傾向はさらに強まり、世界を批判的に見る癖がついた。

・〔大学進学と海外への視野拡大〕
 経済的には貧乏だったが、成績の良さから学校の先生が英語も学べてサーフィンもできる大学を探してくれた。千葉の九十九里にある東金(私立大学)に進学し、学生時代から学生サーフィン選手権で日本一を獲得・維持した。毎年冬はハワイのノースショアに合宿に行き、オーストラリアにも長期で行くなど、恵まれた環境にいた。

・〔プロサーファーの夢断念と挫折〕
 4年間サーフィンに専念したが、才能と努力が足りず、卒業までにはプロサーファーになれなかった。しかし文化人類学部で主席卒業し、清水建設などからの就職推薦を受けたが、サーフィンができなくなるサラリーマンの道は選ばず、接骨医の資格を取ることを決めた。

・〔接骨医の道と23歳での転機〕
 卒業後、接骨医の道を目指し1年間働きながら資格取得の学校に通い、23歳までプロサーファーの試合に出続けた。しかし23歳の時点で、競技でも個人的なビッグウェーバーのキャリアでも生きていけないことが明確になり、完全にプロを諦めた。

・〔ジャック・ジョンソンとの衝撃的な出会い〕
 20歳頃のハワイで、元ジュニアプロサーファーで世界的ミュージシャンのジャック・ジョンソンに出会った。彼は大怪我でサーフィンの道を立たれたが、音楽と映像のアーティストとして世界的に成功していた。ハワイの海で会うと非常に上手いサーファーでありながら、プロではない存在が、日本人プロサーファーよりもはるかに上達していることから、「プロってなんなのか」という疑問が生まれた。

・〔環境問題への目覚めと社会的メッセージ〕
 ジャック・ジョンソンに惹かれた理由は、彼が環境問題、ウミガメの減少、ハワイアンのアイデンティティの喪失、リゾート開発に対して、平和的かつ優しくアゲインストしていたから。音楽と映像という武器を使ってローカル、自然、先祖を大事にするメッセージを発信し、それが世界に受け入れられていることに共鳴した。

・〔原発問題との遭遇と環境意識の醸成〕
 22歳の時、高知県の東洋町に放射性核廃棄物処理施設の誘致話が浮上。ミクシーで高知のヒッピーから連絡を受け、高知県内の別の町での反対運動を知った。東京から専門家を呼んで数回の勉強会を開催し、原発ゴミ、食べ物への影響、海への危機感を学んだ。この経験がジャック・ジョンソンとの出会いと同時期に起き、環境問題への強い危機意識を植え付けた。

・〔音楽活動への転機と湘南での経験〕
 24歳で接骨医の道を辞め、日本でサーフミュージックが最も根付いている湘南の茅ヶ崎に移住。人材派遣で発泡スチロール製作の仕事をしながら、週末のライブやイベント現場でサーフミュージック・サーフロック・レゲエなどのシーンを体験した。

・〔レフティックとの再会と沖縄への旅〕
 大学時代からの仲間・西宮ゆうき(デフテック)がミュージシャンとして活躍していたことを知り、再会して意気投合。デフテックが解散する時の沖縄ツアーにサポート役で参加し、沖縄で初めて藍染とつながることになった。沖縄に残った2週間で、琉球の染織を受け継ぐ人たちとの出会いがあり、戦争、平和、伝統への関心が深まった。

・〔ミーシャさんとの1年間:音楽業界での学び〕
 沖縄のホテル経営者に「フラフラしているだけの浮浪人だ」と指摘され、ミーシャの社長との面接を受けた。その後、東京でミーシャさんのツアーに1年間同行し、大型アリーナ巡業、エイベックスなどの大手音楽業界人との出会いを経験。後半半年間は宮沢和史さん(沖縄の島歌シンガー)のアシスタントとなり、47都道府県の寄り道ツアーに参加した。

・〔宮沢和史さんのツアーと日本文化の再発見〕
 宮沢さんのツアーで、各地の有機農業者、陶芸職人、伝統文化に関わる人たちを訪問。島歌という伝統音楽を通じて、日本の地域文化の深さと価値を学んだ。これにより、ジャック・ジョンソンを通じて得た世界的視点から、日本の文化への視点へシフト。ミーシャさんとの大規模なアリーナツアーと宮沢さんの地域密着ツアーの双方から多大な影響を受けた。

・〔東京での精神的危機と退職の決断〕
 1年間の東京生活で、サーフィンができない環境とストレスからパニック障害的な症状が出始めた。ミーシャの社長への不義理の懸念もあったが、自分の心身を優先させて辞職を決意。ブラジルツアーへの招待もあったが、サーフィンへの欲求を優先させて辞職した。

・〔オーストラリアでの1年3ヶ月の経験〕
 27歳でオーストラリアのワーキングホリデーに移行。ゴールドコースト、バイロンベイ、シドニー、メルボルンを渡り歩き、カフェや日本食レストランでのバイト、農業体験などを通じて環境問題やアーティストに触れた。しかし同年代が就職して成功する中、自分の不安定さへの葛藤もあり、27歳で「やりきった感」を覚えて帰国を決めた。

・〔帰国と藍との出会い〕
 帰国後、東京でオーガニックエコフェスティバルを訪問。そこで全身藍染の70代のおばあちゃん・カメちゃんと出会った。カメちゃんから藍が種まきから4ヶ月の発酵プロセスを経た天然染料であることを学び、その企業が海洋庁の関連企業だったことに驚いた。藍という存在が自分のこれまでの経験(サーフィン、音楽、環境意識)と不可分に繋がっていることを感じた。

・〔地元帰郷とゲストハウス・カフェ経営〕
 帰国当初、ゲストハウスとカフェを開業する予定で2年間経営しながら、合間に畑作業を手伝っていた。2011年の東日本大震災時に、カメちゃんが藍染の布を数百枚染めて現地に送る活動に協力。その体験を通じて、ゲストハウス経営は中途半端だと感じ、トータス(カメちゃんの会社)に就職することを決めた。

・〔トータスでの6年間:藍と徳島文化の深掘り〕
 トータスに就職後、畑仕事、藍染めの製作、デパート販売、縫製などに携わり、同時に吉野川流域の藍農家や染め師から学んだ。徳島市内も含めて、江戸時代から明治大正にかけての徳島の歴史、阿波踊り、天皇家とのつながり、麻文化など、マルチな視点で文化を研究。文化人類学的なアプローチで物を引いて見る癖が、職人専門化の道ではなく、複合的な学びへと導いた。

・〔阿波踊りとの関わり〕
 毎年お盆の4日間、そごうの藍染めフェアを担当することで、阿波踊りにフル参戦。全く知らなかった地元・徳島の深い文化と世界を30代から学び直した。世界志向から内向きへの転換の中で、足元を掘り下げることの価値を実感した。

・〔内向き志向から外へのアウトプット葛藤〕
 世界に向いていた20代の意識と行動を、15年間、地元で「掘り下げる作業」に転換させた。今、その掘り下げたものをアウトプットしたい思いがある一方で、海外への物理的行動ができていない葛藤がある。外国人ゲストにはアウトプットしているが、自分自身が外の世界へ行く行動が取れていないことが課題である。

・〔スペイン巡礼への未練と現在のつながり〕
 若い頃はスペイン(サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼)に行きたかったが、叶わず。今も海外への未練はあるが、20代より今の方が圧倒的に海外の人たちとのつながりが広いことに気づいている。足元を掘り下げることで、海外の人たちが価値を認めてくれるようになったからで、空間的距離は遠いが心理的距離は近くなったと感じている。

・〔ローカルの深掘りが世界との距離を縮める〕
 足元を掘り下げることで、世界とのつながりが拡がるという逆説的体験。「海外に行かないと海外と繋がれない」「都会に行かないと都会と繋がれない」という既存概念の否定。地元・ローカルの価値を深く理解することが、結果的に世界との接続を深める。

・〔まこりんのコロナ前のインスピレーション:国境と言葉の壁を越える〕
 まこりんは出版業界の限界を感じていた時、「国境と言葉の壁を越える」というメッセージが湧いてきたと述べた。日本語しか使えず日本でしか活動できないと思い込んでいたが、扱っているものは普遍的であり、自分で壁を作っていただけだということに気づいた。

・〔話者1と話者2の共通意識:本質的なコアの共有〕
 話者2は話者1の話を聞いて、サーフィン・音楽・藍など一見無関係なものが、実は共通の根っこ(社会問題、環境問題への危機感、ローカルの価値)でつながっていると感じた。これは国永先生とも共鳴するような「本質的なコア」であり、トラさん(話者の友人)も同様の意識を持っているはずだと推測。

・〔マイノリティとメインストリーム:統合への困難さ〕
 まこりんは、時代が変わり体制側も衰退しつつある中で、マイノリティの側も反発心(ルサンチマン)が強すぎて統合を拒否している傾向を指摘。感情的には統合が好きでない人たちもいるが、マイノリティ側に持つ普遍性を大きなものに適用することで、新しい社会が作られていくと予感している。

・〔体制と反体制の立ち位置の難しさ〕
 まこりんは、体制が変わって形勢が逆転し始める時期に、自分の居場所を保つことの難しさを述べた。幕末から明治への転換期のように、危機的な時代の中で、どこに身を置くかの選択が重要だが、どちらの側にも完全に染まることの危うさを認識している。

・〔カメちゃんの浮世離れと自分の葛藤〕
 レキ君は、カメちゃんが浮世離れした存在であり、カメちゃんとの出会いから17年経った今も、その影響を受けながらも、超マイノリティの世界にとどまれない自分がいると述べた。世間からのマイノリティ認識に納得できず、常に次の変化を求めてしまう自分の性質を自覚している。

・〔現在の社会的転換と時代認識〕
 AIの急速な出現が社会インフラを確実に変えようとしており、明治維新というメタファーで捉えている人もいる。当時の庶民がそれを自覚していなかったのと同様、今も急速な変化が起きているにもかかわらず、多くの人は気づかないまま生活している可能性がある。

・〔次回セッションの予定と内容〕
 次回は7月2日の午前10時から正午にかけて開催予定。さらに7月5日(日曜日)13時から2時間のセッションも予定。次回は愛(藍)についてより深く、その文脈、エビス信仰、環境問題との関連、産業革命・明治維新による衰退の背景などを話す予定。空海については別枠になるかは話してみないと分からないとのこと。

・〔チェックアウト:今日の成果と次への継続〕
 話者1は、本来のプロジェクト(トラさんの本)を忘れて、ゼロから100まで話してしまったことを謝罪しつつも、枠を作らず流れで話すことが結果的に良いアウトプットになると確認。話者2も同様に、あまり何を聞かなければという枠を作らず、普通の対話として話を聞くことの価値を述べ、次回も同様のスタイルで進める確認をした。