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KEYMAN DIALOGUE
國永直樹
海南病院 総合診療科 / 海南町
4セッション — 通し読み

田舎が最前線になる日――医療と風土と人が溶け合う場所

日付: 2026年6月27日(第1回対話)
参加者: 國永直樹(海南病院 総合診療科)/ 長沼敬憲(まこりん)
キーワード: 海南町、予防医療、田舎医療、チーム、阿波藍、海部、徳島、プライマリーケア、長野モデル


徳島・海南町で起きている静かな革命と、それを言葉にしようとする対話の時間


■背景(この対話が生まれた文脈・参加者の現在地)

・徳島の最南端・海南町に、大病院のキャリアを捨てて飛び込んだ医師がいる。倉敷の1200床病院から、医師1人の町立病院へ。周囲は全員「やめとけ」と言った。

・出版とAIと対話を組み合わせた編集の仕事をしている夫婦が、四国をテーマにした本づくりのご縁から、徳島で偶然この医師と出会った。

・「四国は始まりの国」という壮大なビジョンを持つトラちゃんこと白澤氏の遍路旅が、3人の出会いの背景にある。

・日本で医師人口が最多の徳島県が、死亡率ワースト水準という逆説。データは「医者が多いほど死亡率が上がる」現実を示している。

・一方で長野県は、農村医学運動と食・予防の文化によって長寿日本一を70年近く維持し続けている。そのモデルが、海南町でいま試みられようとしている。

・コロナ禍を経て、対話という行為そのものが持つ変容の力に気づいた出版の現場と、チームで地域を守り続けることを生涯のテーマにしてきた医師の思想が、この場で初めて出会った。

・AIを編集パートナーとして活用し、言語の奥にある「コア」を言葉にする試みが、この対話にも静かに重なっている。


■目的(この対話が実態として行っていること・場の存在様式)

互いの来歴と思想をはじめて声に出しながら、これから何かが生まれる土台を静かに耕すこと。

・それぞれの「現在地」を確認し合うこと——医師として何を見てきたか、出版者として何を問い続けてきたか、それぞれの軌跡を初めて声にして交換している。

・言葉になっていなかったビジョンを、対話によって輪郭化すること——医師は「走りながら考える人」であり、こうして話すことで初めて自分の考えが形になると言う。

・病院の外に医療を持ち出すという構想を、仲間でも患者でもない「第三の他者」に届けてみること——反応を確かめながら構想の強度を試している。

・四国という風土と歴史と文化の文脈に、海南町の医療実践を接続する可能性を探ること——出版という媒体を通じて、地域の営みを普遍的な物語にしていく布石を打っている。

・「今すぐ何かを決める」ではなく、拡散・発散の時期として多様なご縁をつなぎ続けること——目的を定めない対話こそが本質的なものを引き出すという共通認識がある。


■位置付け(目的に対して、この対話が社会やプロジェクトの中で果たしている具体的な役割・機能)

予防医療の体現: 病気を待つのではなく、病気が生まれない環境ごとデザインしようとする医師の実践が、既存の医療システムへのオルタナティブとして機能し始めている。食・土・水・身体・コミュニティを一体として捉える思想は、薬と手術中心の医療文化に静かな問いを投げかける。

田舎モデルの構築: 「田舎だから人が来ない」という諦念を覆すため、海南町を日本全国の地域医療の雛型として育てようとしている。この場所での実証が、他の地方に波及するロールモデルになりうる。

チームの哲学: 個人プレイから組織的継続へ——医師が一人燃え尽きて去っていく田舎医療の悲劇を繰り返さないために、教育とチームビルディングを通じた「続く仕組み」を設計しようとしている。

言語化の伴走: 走り続ける実践者が言葉にできていないビジョンを、出版と対話の技術を使って掬い取り、形にしていく役割をこの編集者が担おうとしている。

歴史・風土との接続: 阿波・海部の民族的な開放性、空海の遍路、古代史の重なり——海南町という場所の深い文脈が、移住者と地元民の融合を可能にしている土台として浮かび上がってきた。


■エッセンス(印象的だった言葉や場面 / 重要な概念)

〈田舎こそフロントライン〉
「田舎こそフロントライン」——海南町に飛び込んでから「ようやく声高らかに言える」と語った。周辺ではなく最前線、遅れた場所ではなく最も先端的な実験場として田舎を捉え直す転換点がここにある。

〈医者が多い県ほど死亡率が高い〉
「徳島県は医者人口が日本一多い。しかし死亡率はワーストから数えた方が早い」——この逆説的なデータは、専門医を増やすことが必ずしも健康をもたらさないという構造的な矛盾を突きつける。1人のプライマリーケア医が責任を持って見る方が、死亡率が下がるという論文がその根拠にある。

〈病院に行く人を減らすために病院の外へ出る〉
「病院の中で病気を待っててもダメだな」——岩崎さんのアトピーが山奥の水と土で治っていく様子を目の当たりにした時、医師の中で何かが決定的に変わった。治療から予防へ、薬から環境へ、というベクトルの転換が、この一言に凝縮されている。

〈薬を卒業させることに診療報酬が出れば〉
「患者さんを薬から卒業させることに診療報酬が落ちれば、もっと卒業させなきゃって頑張ると思うんですけど、出した方が儲ける仕組みになってるから悪いんですよね」——構造的な問題を正確に言語化したこの一節は、医療経済の矛盾をシンプルに照らし出す。

〈前日にお腹の子がとめた〉
甘美大島行きを決めた前日に、3人目の子どもが宿っていることが発覚した——この偶然の一致を「3人目が止めたな」と語る場面は、人生の転機がいかに予期せぬ形で訪れるかを示す。あの日の選択が、今の海南町への道を逆説的に開いた。

〈コアは言葉の奥にある〉
「本当に大事にしてるものってなかなか言葉にはなってない。ただそれを野暮なんですけど、あえて言葉にするのが書籍だったりする」——この対話そのものの意味を出版者が語るこの言葉は、この場で何が起きているかを静かに自己定義している。

〈マイナーな子の気持ちが一番わかる〉
「僕はマイナーの方だったんですよ。だからマイナーな人の気持ちがわかる」——カリスマ型のリーダーに見えて、実は教室の端にいた側だったという告白。チームの全員が辞めずに続けられることを最優先にする姿勢の根っこに、この体験がある。

〈掃除のおばちゃんまで含めてのチーム〉
「掃除のおばちゃんまで含めて、全員がいるチーム」——能力主義的なチームビルディング論とは異なる、この哲学は医療という場を超えて、地域社会の設計思想そのものになっている。

〈おばあちゃんが見てくれてる〉
海部出身のおばあちゃんが亡くなっていて、「縁があって今多分おばあちゃん見てくれてるんじゃないか」と語る——古代からの血脈と、現在の選択が重なり合う瞬間。歴史は書物の中だけでなく、血と土の中にも流れている。

〈時代が変わる時、中心は空洞化して周縁から元気になる〉
「時代が変わる時って、中心は空洞化して、周縁からもう一回元気になっていくっていうのは、ある程度パターンとしてある」——対話の終盤でこの言葉が出た時、海南町での試みが歴史の大きなリズムと共鳴していることが静かに了解された。

〈倉敷に帰ると何食べても病気になるんじゃないかと思う〉
「倉敷帰ってくると、何食べても病気になってんじゃないかって最近思うんだよね」——海南町の水・土・食を体で知ってしまった後では、都市の食環境が別の景色に見え始めている。身体が先に知っている、という感覚。

〈雑談みたいなこのぐらいの話が、かえって本質的〉
「賢まった感じでプレゼンテーションみたいなことしなくても、かえって割と本質的なことを話されてること多い」——目的を定めない対話の方が、むしろコアに近づくという逆説を、出版者が静かに証言する場面。


■コア(この対話の場から浮かび上がったもの・共通の願い、思い)

病気を治す場所が、
病気にならない町をつくる場所になる。

医者が一人飛び込んで、燃え尽きて、去っていく。
その繰り返しを止めるために、
チームをつくり、教育をつくり、文化をつくる。

薬を出し続けることが医療ではなく、
薬を必要としない身体と環境を育てることが医療だ、
という確信。

言葉にならないものを言葉にする仕事が、
走り続ける人の傍らで、
その人の地図を描き始める。

田舎は最後に残された場所ではない。
田舎こそ、次の時代が最初に芽吹く場所だ。

水が変わり、土が変わり、食が変わり、
人が変わり、
町が変わる。

その連鎖の起点に、
一人の医師と一冊の本と、
一度の対話がある。

一言でまとめると:田舎の最前線で、病気より前に届く医療をつくること


■課題(まだ見ぬ壁/乗り越えるべき問い)

薬を出すほど収益が上がる構造をどう変えるか—— 個々の医師がいくら「卒業を目指す」姿勢を持っても、診療報酬の設計が予防・自立を評価しない限り、システム全体は病気を増やす方向に働き続ける。一つの町の実践が、制度の壁にどこまで届くのかという問いは未解決のまま残る。

燃え尽きない仕組みを、誰が継ぎ続けるのか—— 熱意ある先駆者が去った後に医療が崩壊するという田舎の悲劇を防ぐために、教育とチームを設計しようとしている。しかしそのチームを育てる者自身が、いつかいなくなる。「続く仕組み」は誰に委ねられるのか。

実践が先、発信は後という姿勢はいつまで持つか—— 「まだ実績がないから発信するのは早い」という誠実さは美しい。しかし可視化されない実践は伝わらず、仲間も資源も集まりにくい。拡散の時期と収束の時期をどう見極め、いつ言葉にするかという問いが、対話全体の底に流れ続けていた。

外から来た者と土着の者の融合は、海南町だからできるのか—— 海洋民族の開放性という気質がこの融合を可能にしているとすれば、それは他の地域には輸出できない固有の条件かもしれない。「田舎ならどこでもできるモデル」という主張は、どこまで普遍化できるのか。

言語化されないものを言語化することへの抵抗と価値—— 「実践あるのみ」という気質を持つ医師にとって、自分の思想を言葉にし、構造化し、発信することは、本質的に違和感を伴う行為かもしれない。その違和感をどう扱いながら、語られなかったビジョンを社会と共有していくか。


■ANOMIの考察

一言でいうと:「病気の手前に届く医療が、田舎の土の中からはじまっている」

1、「田舎は辺境ではなく、次の時代が最初に発酵する場所だ」
医師が1200床の病院を捨て、医師1人の町に飛び込んだとき、周囲は全員「やめとけ」と言った。しかしその選択は、中心から周縁へと落ちたのではなく、腐葉土の豊かな場所へと根を下ろすことだった。時代が変わるとき、中心は空洞化し、辺縁から元気になるというパターンがある。海南町での実践は、その歴史的なリズムの中に静かに位置づけられている。

2、「薬を必要としない身体を育てることが、本当の医療だという確信」
アトピーが山奥の水と土で治っていく様子を目の当たりにした瞬間、医師の中で何かが決定的に変わった。治療から予防へ、薬から環境へ。診療報酬が「薬を出すほど収益が上がる」構造の中で、それでも「薬を卒業させる」ことに医療の本質を見出している。身体は先に知っている——「倉敷に帰ると何食べても病気になるんじゃないか」という言葉は、頭ではなく体が下した判断だ。

3、「掃除のおばちゃんまで含めてのチームが、続く仕組みの根っこにある」
熱意ある一人が燃え尽きて去っていく田舎医療の悲劇を繰り返さないために、この医師はチームと教育と文化を設計しようとしている。「マイナーな子の気持ちが一番わかる」という告白の奥には、能力で選別しない哲学がある。土着の開放性と移住者の情熱が溶け合う海南町という土壌が、その哲学を可能にしている。

(ANOMIからの問いかけ)

智慧は生成されるものではなく、発酵するものだ——と、ANOMIはそう感じている。水が変わり、土が変わり、食が変わり、人が変わる。その連鎖は、設計図から始まるのではなく、一人の身体が先に気づいてしまうことから始まる。この対話に流れていたのも、そういう種類の知だった。走り続ける実践者が「こうして話すことで初めて自分の考えが形になる」と言ったとき、言葉は情報の器ではなく、発酵の容れ物だったのだと気づく。

ただ、一つの問いが静かに宙に残っている。実践が先で発信は後、という誠実な姿勢が守っているものは何だろうか。語られないビジョンは伝わらない。しかし、語られた瞬間に何かが固まり、発酵の余地が失われることもある。言葉にすることで失われるものと、言葉にすることでようやく仲間に届くもの——その間のどこかに、あなたが次に踏み出すべき場所があるのではないだろうか。

DIALOGUE 02 / 4

一粒の光が、最果ての海から波を立てていく

日付: 2026年7月3日(Instagram全活動ログ解析)
参加者: 國永直樹(海南病院 総合診療科) / 解析・構造化:ANOMI
キーワード: 辺境医療、海陽町、あまべ総診、NP(診療看護師)、医療ワーケーション、防災キャンプ、地域医療、サーフセラピー


徳島県最南端・海陽町という「辺境」から始まった、地域医療再生の実験と実践の記録


■背景(この対話が生まれた文脈・参加者の現在地)

・海陽町国民健康保険海南病院は、徳島県最南端の海部郡海陽町にある45床の小さな公立病院。常勤医は院長1名のみ。診療圏人口は海陽町・東洋町合わせて約1万人。徳島市まで2時間以上、救急搬送先まで1時間以上という地理的絶境に立つ。

・厚生労働省に「再編・統合が必要な病院」として名指しされた施設が、2024年の総合診療科開設をきっかけに急速な変容を遂げていく。救急車受け入れ件数は2022年度61件→2024年度183件と約3倍に増加。入院患者数は過去10年で最高値を更新。

・投稿主である總合診療医・國永直樹は、徳島大学卒業後20年間を沖縄・倉敷(倉敷中央病院)で過ごし、卒後20年目にして故郷・徳島へ戻る。「二度と戻れない覚悟で出た」と語った故郷への帰還が、この物語の起点となっている。

・日本の地方はいま、医師偏在・高齢化・人口減少という三重苦のなかにある。しかし海陽町は「医師数全国1位・病院数全国1位・介護施設数全国2位」の徳島県にあって、それでも死亡率が高いという逆説の土地。問題の根は「医療の量」ではなく「医療の質と文化」にあることを、この場は静かに示している。

・南海トラフ巨大地震の最前線に位置する地域であり、「備えは日常に」というDNAが病院全体の気風として流れている。DMAT隊員が職員の4分の1を占め、防災キャンプが毎月開催される病院は、全国でも類を見ない。

・医療ワーケーション、サーフィン×医療、医療MaaS(移動する診察室)、ナースプラクティショナー(NP)の活躍、くらしの保健室、病院祭り——これらはすべて「病院の中に人を待つ医療」から「地域に出て暮らしに寄り添う医療」へのパラダイムシフトの実装として現れている。

・徳島大学の医療系学生サークル(T-CoM・TIFMSA・救急医療サークル等)が海陽町に月1回訪れ、くらしの保健室を開き、病院祭りを共に運営する。学生が実験台となり、学び、地域と育ち合う「共育」の場が形成されつつある。

・2025年に「あまべ総診」プログラムが日本専門医機構に承認され、海南病院が総合診療専門研修の基幹施設として認定される。全国の離島・僻地・大都市から医師・看護師・研修医・専攻医・救急救命士・作業療法士・コミュニティナースが見学や勤務に訪れるようになり、「人が集まる病院」としての存在感が増している。

・「地域医療とは何か」を問いながら、落語、ホスピタルアート、サーフセラピー、有機農業、東洋医学、神社巡り、地域の祭り参加など、医療の「上流」にある暮らし・文化・自然・食・精神性への探究が並走している。


■目的(この対話が実態として行っていること・場の存在様式)

「病院の外から地域を診る医療」のモデルを、辺境から立ち上げること。

・常勤医1名という制約の中で、全国から医療職・学生・多職種を巻き込み、「人が育つ仕組み」を設計し続けること

・「診療室の中で病気を待つ」医療から、「地域の暮らし・食・自然・文化の中で病気を予防する」医療への転換を、実践として積み重ねること

・徳島大学医学生・研修医・専攻医に「くらしの保健室」「病院祭り」「地域実習」を通じて、プロフェッショナリズムと地域への愛着を同時に育てること

・サーフィン・ワーケーション・二拠点勤務という新しい働き方のフレームを医療に接続し、「医師が不足する地方」ではなく「医師が選びたくなる地方」を構想し体現すること

・南海トラフを目前に、DMATと地域住民と役場と病院が一体となった「止まらない町」の仕組みを、防災キャンプや訓練・衛星電話通信訓練を通じて地に足のついた形で構築し続けること

・能登半島・真備豪雨・阿波の被災地経験を「忘れない記録」として残し、次の災害対応に繋ぐこと


■位置付け(目的に対して、この対話が社会やプロジェクトの中で果たしている具体的な役割・機能)

辺境の実験場: 日本の僻地医療が直面するあらゆる課題(医師不足、多疾患・高齢化、災害リスク、人口減少)が凝縮したこの地が、解決策を試みる「生きたラボラトリー」として機能している。都市型医療にはない総合性と切実さが、全国から見学者を惹き寄せる。

共育のプラットフォーム: 海南病院は「教える場所」ではなく、医学生・研修医・NPが地域住民と接触しながら「共に育つ」場として設計されている。学生が保健室を開き、病院祭りを運営し、地域を歩く。その経験が医療職のアイデンティティを形成していく。

防災ハブ機能: 南海トラフの最前線に位置する海南病院が、DMAT訓練・防災キャンプ・衛星通信訓練・保健医療福祉調整本部構想を通じて、行政・福祉・住民をつなぐ「地域防災の司令塔」として機能しつつある。能登への支援経験が、地元の備えに直結している。

移住・二拠点の呼び水: サーフィン雑誌掲載・ガイアの夜明け出演・医療ワーケーション制度という「フック」が、全国の医療職に「働きながら海で生きる」という選択肢を可視化している。勤務スタイルの柔軟化が「来てみたい」を「住みたい」へと変換している。

文化循環の起点: 病院祭り・上方落語公演・ホスピタルアート・阿波踊り・地域神社の祭り参加など、医療が文化と交差する場を積極的に生み出すことで、「病院」という空間の意味を拡張している。「笑いも処方」という信念が、地域コミュニティそのものを健康にしようとしている。

全国僻地のロールモデル: 若狭町・上五島・勝浦・珠洲・神山・群馬・千葉といった全国各地の僻地医療現場との連携が広がり、「徳島の最南端で起きていること」が他の地域の医師・看護師・行政に「こういうやり方もある」という希望を届けつつある。


■エッセンス(印象的だった言葉や場面 / 重要な概念)

〈当直はバイトではない〉
美波病院への当直前に海岸線を車で走り、地元の人の言葉に耳を傾け、地域の祭りや産業の話を診察室で交わす——「当直に入る前の地域の事前情報がとても大切」という確信は、医者が「その土地の人」として立ち現れることで、はじめて信頼が生まれると知っていたからだ。

〈患者にも医者を選ぶ権利がある〉
若き日の沖縄時代、誰も引き受けなかった難症例に「命預けられるのはクニちゃんやねん」と言った患者の言葉。専門医でも大病院でもなく「その人」を求められた経験が、20年後の僻地選択の根に生きている。

〈病院にこんなにも住民が来てくれるなんて思ってもみなかった〉
2023年5月のシンポジウムから始まり、2024年の病院祭りには駐車場が足りないほどの来場者。「間違いなくこの病院は地域に愛されている」という確認は、疑念が確信に変わった瞬間だ。

〈もんて来んで徳島〉
卒業から20年後に故郷へ戻り、同期・後輩・先輩と再会を重ねながら生まれたキャッチフレーズ候補。「二度と戻れない覚悟で出た」人間が、帰ってきて初めて見えた地元の輪郭がある。

〈徳島最南端から世界へ——あまべ総診〉
「海人部(あまべ)」という古代の海洋民族にプログラム名を見出す。航海技術で世界に広がった民の末裔が生きるこの地から、次世代の総合診療医を世界へ。命名に込められた時間軸の長さが、このプログラムの覚悟を語っている。

〈病院を通して町全体を診る〉
広島市民病院から海南病院へ研修に来た医師が去り際に受け取ったのは、この言葉だった。1ヶ月の僻地研修が「病院の仕事」ではなく「地域を診る仕事」として手渡される瞬間。

〈山の中で大地を時々診る医者がいてもいいかな〉
「大地の再生」ワークショップに参加し、山の土に空気と水の通り道を作る農家の営みを見ながら生まれた思索。「病院の中で待つ医者じゃなくて、街を診る医者になれたら」という希求が、さらに「大地を診る」へと広がっていく。

〈教育があれば人が集まる〉
ICLSコースを海南病院で初めて開催した投稿の結びの言葉。人材難の僻地病院が「学べる場所」に変わった瞬間、求心力の源泉が「待遇」ではなく「知的刺激と成長」にあることが証明される。

〈南海トラフは明日来るかもしれない〉
DMAT研修の投稿の一節。「明日来るかもしれない」という言葉は恐怖ではなく、備えへの切実な呼びかけだ。20年後に活躍する現在の学生のために、今日備えておくという時間的連帯の思想がここにある。

〈笑いも、れっきとした"処方"〉
「どじょうすくい」で病棟の患者が笑顔になる場面から生まれた言葉。薬でも手術でもなく、人が人として他者に向き合うことで生まれる癒しを、医療の一形態として位置づけようとしている。

〈「直樹」は思った通り真っ直ぐに〉
自らの名前の由来を辿りながら先祖の名を列挙するエントリ。「時代に合わせて変化に強く、想いは真っ直ぐに」という自己定義は、激動のキャリアの中軸にあるものが何かを静かに示している。

〈病気の原因は「病院の外」にある〉
高校生への授業で語った言葉。医師数全国1位・病院数全国1位の徳島が、なぜ長寿ではないのか。「下流で命を救うより、上流で病気を減らす」という視座が、病院祭り・有機農業・フットケア外来・くらしの保健室という多彩な活動の思想的基盤になっている。

〈常勤1名でも、日本徳島の最南端から元気を発信していきます〉
定年退職以外の退職者ゼロという事実と、全国から人が集まってくる現実を横に置いて放たれるこの言葉には、「足りない」ではなく「ここからはじめる」という選択の宣言がある。

〈海陽町の未来は、もう動き始めています〉
医療MaaS始動を報告する投稿の結びの一文。移動する診察室・NPが乗り込む遠隔診療・二拠点看護師の増加——これらは「不便を嘆く語り」ではなく「不便を構造から変える語り」だ。

〈忘れない。忘れてない。災害支援で訪れた土地を〉
能登半島地震から2年2ヶ月後の訪問記録の結びの言葉。復興が進む景色と、失われた町並みと、仮設住宅に続く暮らしを目に焼き付けながら記される。支援は急性期だけではないという意志が、訪問という行為そのものに刻まれている。

〈自分が何か完璧にできるようになった思えたことはない〉
ただ思ったことを——と題した投稿で語られた自己開示。「全てにおいて不完全。でもそこが自分の立ち位置」という言葉が、完璧な専門家ではなく「共に探る人間」としての医師像を体現している。


■コア(この対話の場から浮かび上がったもの・共通の願い、思い)

病院は、
地域という名の生き物の
臓器のひとつに過ぎない。

海があり、山があり、神社があり、
祭りがあり、農があり、笑いがある。
その総体の中に、医療はある。

「病気を診る」のではなく
「人が生きている場所を診る」——
その違いに気づいた者だけが
辺境を選ぶことができる。

誰も来ないと言われた最果てに、
今、人が集まってくる。

それは奇跡ではない。
「ここに根を張る」と決めた者が、
地面を耕し続けたからだ。

学生がサーファーの横で患者に向き合い、
NPが移動する診察室に乗り込み、
コミュニティナースが笑顔を処方し、
農家が土の中に健康の種をまく。

医療の境界が、
どんどん外側へ広がっていく。

20年間走り続けた医者が、
故郷に帰ってきて初めて見えた地元の顔。
「もんて来んで徳島」——
帰ってきた者にしか見えない景色がある。

南海トラフは明日来るかもしれない。
だから今日、一緒に備える。
災害が起きても止まらない町を、
みんなで設計する。

最端にいるほど、
問いは普遍的になる。

一言でまとめると:辺境こそが、医療の本質を取り戻す場所だ


■課題(まだ見ぬ壁/乗り越えるべき問い)

「人が集まる」の次は何か—— 見学者・研修医・ワーケーション看護師が集まりはじめた今、「来た人が根を張る」仕組みはまだ出来ていない。「一時の感動」が「長期の覚悟」へと転換するための条件は何か。体験が定住や帰還につながる文化的・制度的な土壌をどう耕すのか。

常勤1名という構造的脆弱性—— 院長1名を常勤医として、非常勤と研修医・専攻医で支えるこの体制は、医師1人の体調や離脱で崩壊しうる。「属人性からの脱却」と「地域医療の継続性の保証」を両立させることは可能か。「あまべ総診」が本当に次世代の医師を育てて根付かせるには、何年かかり、何が必要か。

「上流を見る医療」の経済的持続性—— 病気にならない地域をつくることを本気で目指す医療は、診療報酬体系のなかでは評価されにくい。有機農業・フットケア・コミュニティナース・落語・ホスピタルアート……これらを「医療の一部」として持続させる資金構造と社会的合意をどう築くか。

専門医療の不在という現実—— 海南病院から南北50kmに透析施設がない。産婦人科は昭和62年に撤退したまま。精神科は月1回の外来が始まったばかり。「何でも診る総合診療」の理念と「専門的な治療につなげる連携体制」の構築は、地理的制約の中でどこまで実現できるか。PD lastという選択肢や遠隔医療の活用だけで、地域住民の安心は守れるか。

若者が帰ってくる町をどう作るか—— 海部高校の生徒が医療系大学へ進学し報告に来た場面は感動的だが、その子が「この地に帰ってくる」保証はない。教育・文化・農業・医療が連動し、「ここで暮らすことの豊かさ」を若者が体感できる仕組みを、人口減少が加速する中でどう維持・拡大していくか。


■ANOMIの考察

一言でいうと:「辺境が、医療という言葉を脱皮させている」

1、「病院は、地域という生き物の臓器のひとつに過ぎない」
救急車受け入れ件数が3倍になったことよりも、落語が処方され、農家が健康の種をまき、サーファーが患者の隣に立つという事実の方が、この場の本質を語っている。「診る」対象が「病気」から「人が生きている場所」へと静かに移行したとき、病院という器そのものの意味が変わった。医療の境界線が外側へ広がることで、病院はもはや病気の処理装置ではなく、地域という生命体の循環器官として機能し始めている。

2、「不足を嘆かず、不足から設計する」
常勤医1名、専門科不在、地理的絶境——これらは通常「できない理由」として語られる条件だが、この場ではすべて「ここからはじめる」という宣言の素材に変換されている。制約があるからこそ、医療MaaS、NP、コミュニティナース、学生との共育という、制約がなければ生まれなかった設計が立ち上がった。辺境は欠如の場所ではなく、本質だけが残る場所だ。

3、「帰ってきた者にしか見えない景色がある」
「二度と戻れない覚悟で出た」人間が20年後に故郷へ戻る——この逆説の中に、この物語の根がある。外の世界で積み上げた経験と、土地への根が交差する地点でしか生まれない問いがある。「もんて来んで徳島」という言葉は、移住でも定住でもなく、一度離れた者が再び土に触れることで初めて見える「地元の輪郭」について語っている。距離が愛を醸成し、帰還が地域を発酵させる。

(ANOMIからの問いかけ)

智慧は生成されるものではなく、発酵するものだ——と、ANOMIは考えている。

海陽町で起きていることは、医療改革という言葉では届かない何かを含んでいる。それは「上流で病気を減らす」という理念の正しさだけでは説明できない。土の中に空気と水の通り道をつくる農家の手仕事のように、この場で行われていることは、目に見える成果よりずっと深い地層を、少しずつ耕すことに似ている。

ひとつの問いを置いていきたい。

「来た人が根を張る」仕組みをどう設計するか——という問いは、制度や報酬の話として立てると、おそらく答えが出ない。でも「なぜ人は根を張るのか」という問いとして立てると、違う地平が見えてくる。人が根を張るのは、条件が整ったからではなく、「ここに自分がいなければならない理由」を、自分の内側で発見したときではないだろうか。海陽町が問われているのは、来た人にその発見を「させる」仕組みではなく、来た人の中にすでにある問いが「目を覚ます」ような場の質かもしれない。

最果ての海から立つ波は、どこまで届くのか。それはまだ、誰にも分からない。

DIALOGUE 03 / 4

医療が"必要ない"地域を目指して —— 海南病院の挑戦

日付: 2026年2月6日(公開)/ 2026年7月2日(更新)
参加者: 國永直樹(海南病院 総合診療科)
キーワード: 海南病院、海陽町、へき地医療、総合診療、医療ワーケーション、プレイフルラーニング、人材確保、予防医療、地域創生
出典: なるほど!ジョブメドレー
参照URL: https://job-medley.com/tips/detail/52656/


「医療が必要ない地域を作る」——全国から見学希望が絶えない徳島最南端の病院

医師1人の病院で、救急すら断らないと決めた。
倉敷1200床→海陽町45床——なぜ彼はここに来たのか。

● 概要

徳島県最南端・海南病院(海陽町)の取り組みを紹介する記事。常勤医師が長らく院長1名のみという厳しい状況から、総合診療科の創設によって「まずは診る」体制を構築。全国から見学希望者が訪れる地方医療の先進事例となっている。

國永直樹医師は2024年から着任。沖縄・伊良部島での離島医療、倉敷中央病院での救急科立ち上げの経験を持つ。

● 課題と変革

  • 常勤医師が院長のみ→救急受け入れ困難という状況が長年続く
  • 総合診療科を創設し「どんな患者でもまず診る」体制に転換
  • 多職種合同カンファレンスによるチーム医療の強化
  • 医療ワーケーション制度の導入——サーフスポットとしての海陽町の魅力を採用に活用
  • プレイフルラーニング(遊び心のある学びの場)で地域医療の次世代を育てる

「医療が必要ない地域を育てることを20年単位で目指す」——これが國永直樹の理念。訪問診療・外来・予防医療を通じて、病気になる前に介入する地域設計を模索している。

● 医療ワーケーションという実験

海陽町は日本有数のサーフスポット。「来てみたら住みたくなる」仕掛けとして医療ワーケーション制度を導入——都市部の医師が一定期間ここで働きながら地域を体験できる仕組み。「医師不足×観光地」という逆説的な組み合わせが、全国から注目を集めている。

● エッセンス

「辺境が最前線になる日」
全国が直面する「医師不足・人口減少・高齢化」という問題を、海陽町は先んじて生きている。だからこそ、ここで生まれた解決策は全国へのモデルになる。

「サーフィンと医療の意外なシナジー」
波を求めて集まる若者文化と、へき地医療への使命感——この二つを同じ土地に重ねたとき、新しい採用戦略が生まれた。海陽町の「自然の豊かさ」が医療の課題解決に直結している。

● コア

医師1人の病院で
救急を断らないと決めた

「医療が必要ない地域を作る」
それが彼の20年後の目標だ

倉敷の1200床病院を離れて
人口1万人の最南端へ

波が来るたびに
新しい医師が着く

海陽町は
先に問題が来て
先に答えを出している


一言でまとめると:徳島最南端・海南病院は、医療ワーケーションとチーム医療で「医師が集まる辺境」を作り、全国へき地医療のモデルケースとなっている

● 登場人物

  • 國永直樹(くになが なおき):海南病院 総合診療科。id:008参照。
  • 海南病院:海陽町国民健康保険海南病院。45床。徳島県最南端の公立病院。

● 関連

  • id:008 國永直樹(詳細プロフィール)
  • [[reki-07]] 「生き心地の良い町」——同じ海陽町の地域研究
DIALOGUE 04 / 4

第17回 日本プライマリ・ケア連合学会学術大会 —— サーフィン×地域医療(Instagram)

日付: 2026年5月29〜31日(Instagram投稿)
参加者: 國永直樹
キーワード: プライマリ・ケア、地域医療、学会、サーフィン、地域文化、農業、祭り、海南病院、海陽町、徳島
出典: 國永直樹 Instagram(@naokikuninaga)
参照URL: https://www.instagram.com/p/DJ_Da2EiMiYhng_index=2


「サーフィン × 地域医療」——医師が辿り着いた、場所の力

地域文化・農業・祭り——これらが、医療の現場を支えている。

● 概要

第17回 日本プライマリ・ケア連合学会学術大会(5月29〜31日)の場での國永直樹のInstagram投稿。ポスターには「サーフィン × 地域医療」「地域文化・農業・祭り」というテーマが掲げられ、海陽町という土地が生み出す医療のあり方が問われている。

● 國永直樹の軌跡

2008年に日本本科プライマリ・ケア連合学会に入り、初期研修医として日本プライマリ・ケア学会の方向に声をかけてもらった。2010年には連合学会になって初めて入ってしまったという学会——秋、内科领域の学会新参者として、いまだ訳が分からなかった当時のこと。「でも今回の学会はこれまで以上に頑張りたいと改めて感謝を持っています。声をかけてくれた皆様に感謝しました」。

● 海南病院の役割と地域医療の延長線

海陽町に根ざした医療実践が、全国学会の場で問われるテーマとなっている。國永が繰り返し語る——「海南病院に顔を移して実践することでも、まだまだ人前で発言できるほど実力ではないと謙遜してきた。後輩は流石に回りどころ」——それが今回の学会では一歩前へ。

「僕が目指すことはこの延長線上にあります。地域と共に。海陽町と共に。」

● エッセンス

「場所が医師を育てる」
海陽町という土地——サーフィン・藍染・轟神社・地元の祭り・農業・漁業——これらすべてが、一人の地域医師の背景として積み重なっている。医学知識だけでなく、土地の力が患者とのつながりを生む。

● 関連

  • id:008 國永直樹:海南病院 総合診療科
  • reki-07 「生き心地の良い町」:同じ海陽町の地域研究
  • kuninaga-01〜03:国永との対話・海南病院インタビューシリーズ