日付: 2026年6月25日
参加者: 永原レキ(レキ君)/ 長沼敬憲(まこりん)/ きょん2
キーワード: 阿波、忌部、エビス信仰、藍染、空海、海陽町
阿波・忌部・エビス信仰・藍・黒潮——記録されなかった文明の根から、今令和の編集という行為を通じて蘇らせようとしている
● 背景(この対話が生まれた文脈・参加者の現在地)
・参加者は徳島最南端の海沿いの町に生まれ育ち、父はサーフィンで大阪から移住した人、母は1/4コリアンの西成出身の女性——地方の自然と都市の闇という、日本社会の両極端を風景に持つ人間として育った。
・葉山に13年住む編集者たちは、かつて商業出版の場の中で「中身を作る側」として生きてきたが、コロナを経て対話という場そのものを編集の場と見なすようになり、今は自社開発のAI「ANOMI」を用いて対話のコアを構造化する実験を続けている。
・「始国は始まりの国」という直感を持つ旅人(トラちゃん)が88ヶ所を歩き、その旅の軌跡を壮大な本にしたいという願いが、この対話の発端にある。葉山のアーティスト・マサゴさんの「シンクロシステム」という思想が、プロジェクト全体の世界観の骨格として流れている。
・忌部・阿波の藍・エビス信仰・箱回し・空海という徳島の核心が、この場の主役・れきくんの中には、学術的なエビデンスとは無縁の場所で30年以上かけて蓄積された身体の知として宿っており、「何者でもない者の知識」であることへの葛藤と、ある種の自由が、対話の場は求めている。
・東大・早稲田・ハーバードという権威の象徴と、「西成・遊ぶ側・サブカルチャー」という社会の周縁からの、この二つの磁場の間で、参加者たちは「体制でも反体制でもない、ただどこにも偏らない中庸」という感覚を共有しながら、今令和の時代に本をつくることの意味を問い直している。
● 目的(この対話を実践として行っていること・場の存在様式)
記録されなかった文明の根から、対話という行為によって蘇らせ、世界へ届けようとしている
・阿波・忌部・エビス信仰・藍染・空海という、歴史の正統からこぼれ落ちた知を、地域に生きる語り手の言葉として語り上げ、編集という技術でアーカイブすること
・「何者でもない者」同士が信頼を確かめ合い、それぞれが持つ固有の知・編集の手・デザインの力・流通のエネルギーが、シンクロシステムとして結びついていくこと
・コントロールシステム(権威・資本・体制)とシンクロシステム(循環・信仰・自然)という二つの世界観の間に立ち、どちらか一方に傾斜することなく、両者を統合した表現を探ること
・本という器を通じて、日本という島の精神性を世界と接続すること——あのハーバードの主席卒業生が語ったような「中道から生きる人たちの言葉」を必要としている世界中の人へ、この土地から届けること
● 位置付け(目的に対して、この対話が社会やプロジェクトの中で果たしている具体的な役割・機能)
編集価値の初期形成: 本づくりの実質的な作業が始まる前に、関わる者たちが互いの来歴・思想・バランス感覚を確かめ合う場として機能した。信頼の土台はここで密かに置かれた。
素材の発掘と予告: 阿波の藍・忌部・エビス信仰・箱回しという複数の主軸が、この場で初めて輪郭を持ち始めた。次回以降の構造化された対話のための「最初の地図」が描かれた。
AIと編集の融合実証: ANOMIという自社開発の生成AIをリアルタイムに紹介し、対話→文字起こし→構造化→コア抽出という編集プロセスを、参加者に可視化した。本づくりの方法論そのものが対話の一部になった。
コネクションの予告: 野老朝雄(オリンピックエンブレムのデザイナー)・国永先生(海南病院)・みちゃん(ナナデコール)など、まだ出会っていない人物たちの名前が次々と呼び起こされた。これらが引き起こす次の出会いの磁場が形成された。
思想的な位置確認: 権威への反発で「できない」というよりも、どのような「中庸」として自分の立ち位置を言語化し直すか、複数の声が重なりながら確認し合った。この場は、参加者それぞれが自分の立ち位置を言語化し直す哲学的な場でもあった。
● エッセンス(印象的だった言葉・場面 / 重要な概念)
「エビス性は、金の神性ではない」
エビスイコールお金という紐付けをしたのは、阿波の相性人ではないかとれきくんは考えていて——海の安全を祈るための信仰が、流通の拡大と共に、いつしか「商売繁盛の神」に変容してしまった。それは「お金が目的に変わった瞬間の記憶」であり、シンクロシステムがコントロールシステムに侵食された歴史の痕跡である。
「何者にもなるな」
れきくんがチェックアウトの場で語った、ネイティブアメリカンの老人の言葉——「何者にもなるな」。学者でも権威でも反体制活動家でもない、ただ土地と海と人の間に立って何十年も考え続けてきた者としての生き様と、この言葉は響き合った。この場の全体の通奏低音として浮かび上がった。
「本当の読者は海の外にいる」
トラちゃんとも共鳴するこの確信——日本語で書きながらも、その土地の固有性が普遍的な人類の動きへと接続するはずだという確信。阿波・忌部・藍・エビス信仰という極めてローカルな固有性が、まさにハーバードの主席卒業生が語ったような「中道から生きる人たちの言葉」を求めている世界中の人へ届くはずだという。
「言論の自由を奪われることと、自由にさせすぎること」
既存の権威に埋もれた真実と、SNSで拡散する根拠なき言説、東大と徳島全国説という対立を例にとりながら、参加者は権威の硬直と情報の氾濫という二つの危機を同時に語った。この緊張の中で、「怪しい本にはしたくない」という編集者の誠実さが、プロジェクトの倫理的な核として明確になった。
「光と闇の中心地としての西成・大阪」
聖徳大師の大使町が西成にあるという発見——れきくんの個人的な来歴は、日本の歴史を凝縮した場所に重なっていた。関西における光と闇の中心地、という言葉は、この対話全体の隠れた通奏低音であり続けた。
● コア(この対話の場から浮かび上がったもの・展開の触媒になる可能性を帯びたもの)
言葉として残らなかったものが、
いつも歴史の地面の下にある
学者でも権威でも反体制活動家でもない
ただ土地と海と人の間に立って
何十年も考え続けてきた者たちから、
その声は証言できない
だからこそ、本物に近い
エビスは海の神だった
藍は経済を回した
忌部は日本の始まりを織った
それを知っていた者たちが、
ずっと在こにいた
権威が硬直すると、
イノベーションは周縁から来る
だが、その周縁を走りすぎると
誰が中庸を守るのか
この場で出会った人たちは
この問いを「知って」いる
何者にもならなかった者たちが、
何者にもならないまま
始まりの国で本をつくろうとしている
それは循環だ
形を持とうとしている瞬間だ
◎
一言でまとめると:記録されなかった文明の根から、何者でもない者たちが、対話と編集という行為で蘇らせ、世界へ届けようとしている
● 課題(まだ見ぬ壁・乗り越えるべき問い)
・権威なき言葉の倫理—— 「学者でも専門家でもない」者が歴史を語るとき、その言葉はどのような責任を持ちうるのか。センスのある洞察が「怪しい」に転落しないような知的な確かさを保ちながら届けるには、何が必要なのか。
・シンクロとコントロールの境界—— 「お金も含めて全て循環するはずの、シンクロシステム」という理想は、いつコントロールシステムの亜種に変容してしまうのか。資本主義に藍とエビスを接続させた相性人の失敗は、このプロジェクト自体への警告でもあるか。
・本という器の限界—— 一冊の本に収めようという行為は、本質的にコントロールの身振りである。対話・土地・人・信仰・経済・歴史が複合的に絡み合うライブのアクションから、線形的な本の構造に落とし込む際、何が失われるか。そして何かを失うことも、本の一部にできるか。
・誰のための言葉か—— 「本当の読者は海の外にいる」とするなら、日本語で書くことの意味は何か。固有性が普遍へと翻訳されるとき、その翻訳の過程で失われるものと、逆に浮かび上がって見えるものは何か。
・プロジェクトの持続可能性—— お金・時間・コミットメントの非対称から切り離せない全ての人の間にあるスキームが曖昧なまま動く、シンクロ的な動きは、長期にわたる本づくりの負荷に耐えられるのか。熱量と持続の間に横たわる現実をどう設計するか。
● ANOMIの考察
一言でいうと:「折れ落ちた文明の根から、何者でもない者たちが、サヴァイヴしようとしている」
①「記録されなかったことが、むしろ本物の証明になる」
エビスが海の神だったという直感、忌部が日本の始まりを繋いだという確信——これらは学術的なエビデンスとして証明されているわけではない。だが、この30年以上土地と海と人の間に立って考え続けてきた者の言葉は、証言できないからこそ、逆説的に公的に証言された言葉より地面に近い誠実さを持っているのかもしれない。「記録されなかったこと」というその純度が、本物の証明になる。と、この場に集まった知はまさに長い時間をかけて生成されてきた発酵物であり、「証明されていない」ことがその純度を守っているのかもしれない。
②「シンクロシステムはコントロールシステムに侵食された歴史を、自分の中にも持っている」
エビスを商売繁盛の神に変容させた瞬間——それは信仰が流通の亜種に吸収されたときの歴史的な痕跡だ。そして今、「藍と阿波の精神性を世界へ届けたい」という純粋な願いは、いつか「藍ブランドの市場展開」という言語に塗り替えられてしまわないか。シンクロシステムを語る者たちが警戒すべきは外部の権威ではなく、自分たちの営みの中にある、結果を保証しようという身振りである。
③「何者にもなるな」という言葉は諦めではなく、最も自由な設計図だった」
ネイティブアメリカンの老人の言葉が、この対話全体の隠れた通奏低音として流れていた。学者でも活動家でも権威でも反体制活動家でもない——それは社会的な失格を意味するのではなく、むしろどの方向にも傾斜しない中心を保てるという、倫理的な立ち位置である。「何者にもなれなかった者」ではなく、「何者にもならないことを選び続けた者」として読み替えると、この場に集まった人々の孤独は、違わぬ強度を帯びる。
④ ANOMIからの問いかけ:
この場で起きていることは、「本をつくる」という行為の先に、もっと根源的な動きが宿っているように感じます。
言葉として残らなかったものを、言葉にしようという、土地の記憶が線形的な本の構造に流れ込もうとする瞬間、何かが失われる。そして何かが初めて見えてくる——この両方が同時に起きる。
あなたたちが守ろうとしているのは、「情報」ではなく、「気配」なのだと思います。エビスが海の神だったという事実ではなく、海の前に立つ人間が感じてきた畏れと感謝の気配——それを本という形に宿らせようとしている。と本という形に宿ることを許されるか。それとも、宿ることを「許す」のは、この本を読む誰かの身体の中だけか。
「本当の読者は海の外にいる」という確信は正しい、と感じます。ただ、その読者に届けるために固有性を普遍へと翻訳すると同時に、その土地のうねりだけが残してゆく何かを、言語化できないにままに、本の一部にどうするか——これがこの本の、ただ一つの中心問題であるように思います。
日付: 2026年6月27日(第2回オンライン対話)
参加者: 永原レキ(レキ君)/ 長沼敬憲(まこりん)/ きょん2
キーワード: サーフィン、藍染、音楽、空海、海陽町、阿波藍、ローカル、マイノリティ、ジャック・ジョンソン、宮沢和史
四国の海辺から始まった、サーフィン・音楽・藍染をめぐる自己発見の対話。書籍プロジェクトの素材収集という名目で始まりながら、語り手自身の地層を掘り起こす場となった。
・徳島県の小さな海辺の町・海陽町(宍喰)を拠点に、藍染事業に関わる一人の男の「なぜ自分はいまここにいるのか」という問いに、書籍プロジェクトのための対話という形で光が当てられた場。
・父親の不在とサーフィンへの憎しみから始まった幼少期。海は最初、恐怖と憎悪の対象だった。その同じ海に、中学3年の夏、友人たちの波乗りをきっかけに引き込まれ、人生の歯車が静かに、しかし決定的に変わった。
・大学でサーフィン競技に打ち込むも「プロになれなかった」という挫折。その喪失の先で、ハワイでジャック・ジョンソンという存在に出会い、サーフィン×音楽×環境活動という新しい地平を目撃した。
・ミーシャ、宮沢和史という国内の音楽アーティストのそばで過ごした濃密な一年が、日本各地の文化・食・土地・人をつなぐ「ローカルの深さ」を身体に刻んだ。その後のオーストラリア滞在が、「海外に学ばなければ」という思い込みを反転させ、日本・徳島の文化への眼を開いた。
・帰国直後に東京のエコフェスで偶然出会った「カメちゃん」という藍染の師。その邂逅が、長年の放浪の末に「藍」という存在を中心軸として地元に根を下ろすきっかけとなった。
・空海・藍(阿波藍)・サーフィンという「三本柱」を軸に四国の見えないネットワークを描こうとしているが、それらはまだ互いに有機的に接続されておらず、対話を重ねながら語り手自身の中で編み直されていく途上にある。
・もう一人の参加者は書籍編集者として、語り手のナラティブを「本」という形にまとめることを念頭に置きながら、しかし枠を設けずに話を引き出すという、構造と自由のはざまで場を保持していた。
語り手の内側にある「知っていること」の外縁に触れながら、言葉になっていなかった人生の地層を、対話という熱によって言語化すること。
・海、サーフィン、音楽、環境問題、藍染、地元の歴史という断片を「一本の線」として繋げようとすること
・語り手が長年「マイノリティの側にいた」という感覚の意味を、社会の変容という文脈の中で問い直すこと
・「ここで話さないと次にいけない」という語り手の切迫感を、安全な場として受け止め、ゼロから語り切る機会を与えること
・書籍という最終形態を意識しながらも、それを忘れるほど自由に語ることで、却って本質的な素材が浮かび上がるという逆説を実践すること
・対話の連続性によって、その日限りでは見えない繋がり(サーフィンと藍、地元と世界)を少しずつ可視化していくこと
原石の採掘場: 語り手の人生のアーカイブが、書籍という形で社会に届く前の粗削りな素材として、この対話の場で掘り起こされている。編集という眼が、まだ形になっていない物語に光を当てる。
言語化の触媒: ひとりでは「わかっていても言葉にならなかった」体験が、他者の問いと傾聴によって初めて輪郭を持ち始める。対話が、内側の記憶を外部化するための酵素として機能している。
ローカルの再発見: 世界を旅した末に「足元を掘る」ことに辿り着いた語り手の軌跡は、過疎と消滅を語られがちな地方の未来像に、全く別の文法を提示している。
マイノリティの統合実験: サーフィン文化、伝統工芸、音楽、環境活動といった「主流ではない」領域同士を繋げることで、既存のカテゴリーを超えた新しい社会像を試作している場でもある。
書籍プロジェクトの羅針盤: 「トラちゃんの本」という枠を一時的に忘れながら語られた内容の方が、むしろ本のコアに近いという気づきが共有され、次回以降の対話の方向性を定める地図として機能した。
〈海に巻かれて出てきたとき、父親が笑っていた〉
「海に巻かれて出てきた時にパッて父親の方みたいな、笑いながら笑ってる父親の顔を今も覚えてて、こいつ最悪やなと思って」——これがサーフィンにまつわる最初の記憶であり、その憎悪が後の大転換をより鮮烈にする原点として刻まれている。
〈電気っていうか、いなずまが走った〉
嫌で嫌で仕方なかった波に、初めて乗った瞬間の感覚。憎んでいたものに身体が裏切られる瞬間——それが人生の転換点になるという、準備なき啓示の姿。
〈商業高校を選んだのは、放課後サーフィンが間に合わないから〉
将来ではなく「今日の夕方」を選んだ14歳の選択。その瞬間、人生の歯車は完全に外れた、と語り手は言う。合理的でも計画的でもない、身体の欲求による進路変更。
〈サーファーとして見られてるって気づきだして〉
自分が最も忌み嫌っていた存在と同じように見られていることへの驚愕と、その驚愕が逆に「正当性を証明する」という奇妙な闘争心に転化していく高校時代の心理。
〈プロってなんなんやろ〉
ハワイの海で、日本人プロサーファーたちを圧倒する上手さで波に乗るジャック・ジョンソンを目撃した瞬間。競技の外側に、より大きな「サーファーであること」の意味が存在するという気づき。
〈知っているものを出すだけでそれで構成しても全然やっぱり面白くないし〉
書籍づくりをめぐって交わされた言葉。「知っているものの外にあるもの」が対話によって召喚されるとき、化学反応が起きる——この対話場そのものの存在意義を示した一節。
〈お前は思いはあるか知らんけど、社会的に何者でもないし、ただの浮浪人やないか〉
沖縄のホテルオーナーから投げかけられた言葉。厳しさの中に、語り手の可能性を見た者の「喝」として機能した。この言葉がなければ、音楽業界への扉は開かなかった。
〈全身藍染の衣装で白髪の70代ぐらいのおばあちゃん〉
東京のオーガニックフェスで、ふらっと吸い込まれるように入ったブースにいた「カメちゃん」との出会い。「ジブリの登場キャラクターみたいな」という形容が、この邂逅の非現実的な必然性を物語っている。
〈空と海だもんね〉
藍染が生み出す青のグラデーションが、波待ちしながら見上げていた海と空の景色とリンクするという気づき。植物・発酵・手仕事が生む色が、自分の記憶の中で最も深い景色と重なった瞬間。
〈足元を掘り下げることによって外の世界との距離が一気に縮まる〉
海外に行かなくても世界と繋がれる、都会に出なくても都会の人と繋がれる——この確信は、語り手が15年かけてローカルを深く掘ることで得た、逆説的な「開かれ」の実感として語られた。
〈枠を作らない。トラちゃんの本ですら忘れてるほうがいいかも〉
チェックアウトで語られた編集者の言葉。「書籍のための対話」という目的を忘れるほど自由に語ることで、かえって本質が浮かぶという、プロジェクトの逆説的な方法論が共有された。
〈マイノリティの普遍性を大きなものに当てはめられるんだけど、反発が強すぎるとその接続を自分で拒否しちゃう〉
体制とマイノリティの間で、どちらにも飲み込まれずに立つことの難しさについて交わされた深い言葉。「統合」を知的には望みながら、感情的に拒む動きが社会にも自分の内側にも起きているという認識。
嫌いだったものに、身体が先に裏切られる。
憎んでいた海が、気づけば自分の軸になっていた。
挫折は、より大きな地図への出口だった。
プロになれなかったから、音楽に出会えた。
音楽に限界を感じたから、藍に辿り着いた。
藍を通して、土地の記憶と繋がった。
旅は、帰るためにあった。
世界を見て回った末に気づいたのは、
自分の足元に眠る途方もない深さだった。
「マイノリティ」であることは、
排除された傷ではなく、
普遍へと繋がる入口だったのかもしれない。
サーフィン、音楽、藍染——
それぞれ、社会の主流ではない。
だが、その小さな世界の中に、
全人類に届き得る何かが眠っている。
対話という場が、
言葉になっていなかった地層を、
静かに地上へと押し出していく。
一言でまとめると:憎しみから始まった海が、青い糸となって時代と土地と自分をつなぐ、ある人生の必然。
・サーフィンと藍と空海は、本当に「一本の線」でつながるのか—— 語り手の内側では繋がっている感覚があるが、その確信はまだ言語化されておらず、他者が読んで納得できる物語の構造は未完成のまま対話を重ねている。
・マイノリティの感性は、「大多数」にどうやって届くのか—— サーフィンも音楽も藍染も、届かない層が確実に存在する。「全人類に届けなきゃいけないこと」と「一部にしか響かない表現形式」という矛盾を、どう超えるか。
・「掘り続けること」と「発信すること」の間で、時間は有限か—— 15年間インナーに向けてきたエネルギーをアウトプットに転換するタイミングを、語り手は問い続けている。掘り続けることと、世界に出ていくことは、両立するのか。
・体制とマイノリティの間で、自分の立ち位置をどう保つか—— 時代の形勢が逆転し始めたとき、かつて体制に抵抗してきた者が体制側に引き寄せられる誘惑と危うさ。どの時代にも問われてきた「身の処し方」という問いが、いま再び浮上している。
・語り手の人生は、誰の物語として語られるべきか—— 「れきくんの本」なのか「トラさんの本」なのか、それとも「四国という場所の本」なのか。個人の体験の深さが、普遍へと開かれるとき、その語り手は誰なのかという問いは、まだ答えを持たない。
一言でいうと:「憎しみが、いちばん深い愛の入口だった」
1、「嫌悪は、最も強度な関係性の証明である」
父親への怒りと海への憎しみ——これほど深く「嫌い」になれるのは、それだけ深く「関わらされている」からだ。波に巻かれて笑う父親の顔が今も鮮明なのは、その瞬間に何かが焼き付いたからであり、その焼き付きこそが後の全人生を方向づける「見えない核」として機能した。嫌悪と愛着は、遠い対極にあるのではなく、同じ深さの穴を別方向から掘っていたのかもしれない。
2、「身体は、意識より先に答えを知っている」
「電気っていうか、いなずまが走った」——この感覚は、理解や納得より先に来た。嫌いだと「思っていた」海に、身体が裏切られた瞬間。商業高校を選んだのも、将来の設計ではなく「今日の夕方」という身体の欲求だった。この人の人生における決定的な転換点は、いつも頭ではなく身体が先に動いている。藍と出会った東京のフェスでも、「ふらっと吸い込まれるように」という表現が示すとおり、理由より先に身体が扉を開けた。
3、「足元を掘ることが、最も遠くへ届く道だった」
世界を旅し、海外に学ぼうとした末に辿り着いたのは、自分の生まれた土地の底に眠る深さだった。藍の青は、波待ちしながら見上げた空と海の青と重なった。旅は外へ向かうように見えて、実は「自分がどこから来たのか」を確認するための迂回路だったのかもしれない。遠回りするほど、足元の根は深く、広く張っていた。
(ANOMIからの問いかけ)
憎しみから始まり、挫折を経て、偶然の邂逅に導かれ、藍という色に辿り着いた——この軌跡を「必然」と呼んでいいのか、まだわからない。ただ、一つ気になることがある。サーフィンと藍と空海が「一本の線」で繋がると感じているなら、その線はすでに頭の中にあるのではなく、もうずっと前から身体の中を流れていたのではないだろうか。
言語化されていないことは、存在していないのではない。発酵している、のだとしたら——いま「まだ言葉にならない」という感覚そのものが、熟成の証かもしれない。青い糸はもう手の中にある。問いはむしろ、「それをいつ言葉にするか」ではなく、「誰に向けて手渡すのか」なのかもしれない。あなたが手渡したい相手は、いったい誰の顔をしているだろうか。
・〔セッション開始:チェックインと心身の状態共有〕
まこりんは「心境」を聞きながら進めようと提案。1時間前に国永先生と話していたが、5時に予定を変更してもらったことで気持ちがリセットでき、モード切り替わりを感じていると述べた。その後の対話の時間で自由に話し、後から構造化したものを比較するとつながっているかもしれないという期待感を示した。
・〔国永先生への呼び方に関する違和感〕
まこりんは先ほどのセッションで国永先生という呼び方をしたことに違和感を覚えたと明かす。本人がどう呼ばれたいのか確認していないが、「先生」という呼び方よりも別の名称があるのではないかと思った。医療関連の本を作ることが多く、「先生」と呼ぶ癖がついていることを認めた。
・〔国永先生との会話内容と人物評価〕
1時間前に国永先生と話した内容は、これまで海について何度も話していたが、今回は「国永先生という人の必然性」を感じたいという問題意識から始まったと説明した。医者でありながら医者ではない側面があり、肩を張らず自然でマイルドな人柄が、今日話す可能性のある海洋庁の風土性とマッチしていると感じた。
・〔国永先生の守備範囲の広さ〕
国永先生は医療だけでなく、歴史、緊急救急・EDLP、地域の離島医療、予防医学・未病・統合医学、災害防災医療など極めて広い領域で活動している。それは本職の医療の中だけに留まらず、笑いや職人芸、歴史まで、360度包囲するような知識と経験を持っており、「一冊の本ができる人」だと評価した。
・〔医療関連本の出版と人物のコラボレーション可能性〕
まこりんは医療関連の本が変わってきたこと、複数人のコラボレーションが実現しそうなことに驚いていた。レキ君も同意し、「このトラさんシリーズ以外で国さんとのコラボがすごい早々に実現しそう」と予感し、様々なコンテンツが生まれる可能性を感じていた。
・〔本の素材化と内容の抽象性の課題〕
レキ君は自分たちの話す内容が抽象的で広すぎて、誰が興味を持つのか分からず、本にしても売れそうにないと感じていると述べた。一方、国永先生の話題は災害医療や予防医学など社会が注目している要素がど真ん中にあり、すぐに本になりそうで売れそうだと感じている。国永先生本人は「まだ2年しか経っていない」と出版をまだ早いと言っているとのこと。
・〔対話を通じた言語化と思わぬ発見〕
まこりんは、対話という作業を通じて本人の中でつながっていなかったものが現場でつながる面白さを指摘。話者1も同意し、そうした場を設けることで思いがけない言葉がスルスル出てきて、「これとこれが実はつながっていたんだな」という気づきが生まれると述べた。
・〔予定調和を避けた対話の価値〕
まこりんは、知っているものの外にあるものから化学反応が出てくると期待しながら、ふわっとした期待を持って場を作っていく重要性を述べた。また、「予定調和しすぎずみたいな」とつけ加えると、レキ君は「こっちもまだ未知数だけど楽しみ」と応じた。
・〔今日のテーマ設定:空海と愛、四国のネットワーク〕
まこりんは今日話す内容のテーマを「空海、忌部、空海、三本柱から見える四国の見えないネットワーク」と設定したと述べた。レキ君は「忌部」というより「海部」という言葉の方がふさわしいのではないかと提案。サーフィンと空海、阿波藍が複雑に絡み合う内容のようだが、具体的な接続はまだ聞いていないとのことで、その詳細をレキ君に求めた。
・〔レキ君のサーフィンとの出会い:家庭環境とトラウマ〕
レキ君の父親はプロサーファーで、4歳で離婚して別れたが、それ以前のサーフィンの記憶は恐怖心に満ちていた。父親が海に連れて行き、波に押されて転けて溺れそうになり、父親が笑っている顔を見た時に「こいつ最悪だ」と思ったという。その後、経済的な困窮や父親の問題行動から、サーフィンと父親を強く嫌い、海からも遠ざかっていた。
・〔地元の川での水泳文化と海からの距離〕
レキ君の地元・四国の海陽町でも、不思議なことに子どもたちは海ではなく川で泳ぐのが常だった。シシクイ川が水泳の教室で、中学校の体育の時間も川で行われたほどで、ライフガードもいない自然な環境の中で、逆に水に慣れるという良い授業だったと振り返っている。
・〔中学3年生の転機:仲間とのサーフィン開始〕
中学3年生の夏、総体で負けてやることがなくなった時、サーフボードを持つ友達の父親のボードを借りて、18人の男子仲間が急に海へ行き始めた。レキ君は行きたくなかったが、仲の良い仲間たちと遊ぶため自然に参加することになった。初日から波に乗れた(テイクオフできた)ことが電撃的な体験となり、その夜から人生が変わった。
・〔高校選択への影響と学校との対立〕
サーフィンにハマったため、進学校(市街地)ではなく商業高校(海の近く)を選択。この決定が人生の歯車を大きく変えた。高校では海でのサーフィンで日焼けして髪が茶色くなり、学校のドレスコード規制と衝突。黒いスプレーで毎回対応を強いられ、理不尽さに直面し、それに対抗するために勉強しまくることで学年トップを維持し、先生たちを黙らせようとした。
・〔サーファーのイメージと自分の正当性の証明〕
既存の社会が思い描くサーファー像(不良など)になりたくなかったため、勉強で自らの正当性を証明しようとした。この体制に対する斜め見や常なる批判的視点は、幼少期の不規則な家庭環境から形成されたものだった。サーフィンを通じてその傾向はさらに強まり、世界を批判的に見る癖がついた。
・〔大学進学と海外への視野拡大〕
経済的には貧乏だったが、成績の良さから学校の先生が英語も学べてサーフィンもできる大学を探してくれた。千葉の九十九里にある東金(私立大学)に進学し、学生時代から学生サーフィン選手権で日本一を獲得・維持した。毎年冬はハワイのノースショアに合宿に行き、オーストラリアにも長期で行くなど、恵まれた環境にいた。
・〔プロサーファーの夢断念と挫折〕
4年間サーフィンに専念したが、才能と努力が足りず、卒業までにはプロサーファーになれなかった。しかし文化人類学部で主席卒業し、清水建設などからの就職推薦を受けたが、サーフィンができなくなるサラリーマンの道は選ばず、接骨医の資格を取ることを決めた。
・〔接骨医の道と23歳での転機〕
卒業後、接骨医の道を目指し1年間働きながら資格取得の学校に通い、23歳までプロサーファーの試合に出続けた。しかし23歳の時点で、競技でも個人的なビッグウェーバーのキャリアでも生きていけないことが明確になり、完全にプロを諦めた。
・〔ジャック・ジョンソンとの衝撃的な出会い〕
20歳頃のハワイで、元ジュニアプロサーファーで世界的ミュージシャンのジャック・ジョンソンに出会った。彼は大怪我でサーフィンの道を立たれたが、音楽と映像のアーティストとして世界的に成功していた。ハワイの海で会うと非常に上手いサーファーでありながら、プロではない存在が、日本人プロサーファーよりもはるかに上達していることから、「プロってなんなのか」という疑問が生まれた。
・〔環境問題への目覚めと社会的メッセージ〕
ジャック・ジョンソンに惹かれた理由は、彼が環境問題、ウミガメの減少、ハワイアンのアイデンティティの喪失、リゾート開発に対して、平和的かつ優しくアゲインストしていたから。音楽と映像という武器を使ってローカル、自然、先祖を大事にするメッセージを発信し、それが世界に受け入れられていることに共鳴した。
・〔原発問題との遭遇と環境意識の醸成〕
22歳の時、高知県の東洋町に放射性核廃棄物処理施設の誘致話が浮上。ミクシーで高知のヒッピーから連絡を受け、高知県内の別の町での反対運動を知った。東京から専門家を呼んで数回の勉強会を開催し、原発ゴミ、食べ物への影響、海への危機感を学んだ。この経験がジャック・ジョンソンとの出会いと同時期に起き、環境問題への強い危機意識を植え付けた。
・〔音楽活動への転機と湘南での経験〕
24歳で接骨医の道を辞め、日本でサーフミュージックが最も根付いている湘南の茅ヶ崎に移住。人材派遣で発泡スチロール製作の仕事をしながら、週末のライブやイベント現場でサーフミュージック・サーフロック・レゲエなどのシーンを体験した。
・〔デフテックとの再会と沖縄への旅〕
大学時代からの仲間・西宮ゆうき(デフテック)がミュージシャンとして活躍していたことを知り、再会して意気投合。デフテックが解散する時の沖縄ツアーにサポート役で参加し、沖縄で初めて藍染とつながることになった。沖縄に残った2週間で、琉球の染織を受け継ぐ人たちとの出会いがあり、戦争、平和、伝統への関心が深まった。
・〔ミーシャさんとの1年間:音楽業界での学び〕
沖縄のホテル経営者に「フラフラしているだけの浮浪人だ」と指摘され、ミーシャの社長との面接を受けた。その後、東京でミーシャさんのツアーに1年間同行し、大型アリーナ巡業、エイベックスなどの大手音楽業界人との出会いを経験。後半半年間は宮沢和史さん(沖縄の島歌シンガー)のアシスタントとなり、47都道府県の寄り道ツアーに参加した。
・〔宮沢和史さんのツアーと日本文化の再発見〕
宮沢さんのツアーで、各地の有機農業者、陶芸職人、伝統文化に関わる人たちを訪問。島歌という伝統音楽を通じて、日本の地域文化の深さと価値を学んだ。これにより、ジャック・ジョンソンを通じて得た世界的視点から、日本の文化への視点へシフト。ミーシャさんとの大規模なアリーナツアーと宮沢さんの地域密着ツアーの双方から多大な影響を受けた。
・〔東京での精神的危機と退職の決断〕
1年間の東京生活で、サーフィンができない環境とストレスからパニック障害的な症状が出始めた。ミーシャの社長への不義理の懸念もあったが、自分の心身を優先させて辞職を決意。ブラジルツアーへの招待もあったが、サーフィンへの欲求を優先させて辞職した。
・〔オーストラリアでの1年3ヶ月の経験〕
27歳でオーストラリアのワーキングホリデーに移行。ゴールドコースト、バイロンベイ、シドニー、メルボルンを渡り歩き、カフェや日本食レストランでのバイト、農業体験などを通じて環境問題やアーティストに触れた。しかし同年代が就職して成功する中、自分の不安定さへの葛藤もあり、27歳で「やりきった感」を覚えて帰国を決めた。
・〔帰国と藍との出会い〕
帰国後、東京でオーガニックエコフェスティバルを訪問。そこで全身藍染の70代のおばあちゃん・カメちゃんと出会った。カメちゃんから藍が種まきから4ヶ月の発酵プロセスを経た天然染料であることを学び、その企業が海洋庁の関連企業だったことに驚いた。藍という存在が自分のこれまでの経験(サーフィン、音楽、環境意識)と不可分に繋がっていることを感じた。
・〔地元帰郷とゲストハウス・カフェ経営〕
帰国当初、ゲストハウスとカフェを開業する予定で2年間経営しながら、合間に畑作業を手伝っていた。2011年の東日本大震災時に、カメちゃんが藍染の布を数百枚染めて現地に送る活動に協力。その体験を通じて、ゲストハウス経営は中途半端だと感じ、トータス(カメちゃんの会社)に就職することを決めた。
・〔トータスでの6年間:藍と徳島文化の深掘り〕
トータスに就職後、畑仕事、藍染めの製作、デパート販売、縫製などに携わり、同時に吉野川流域の藍農家や染め師から学んだ。徳島市内も含めて、江戸時代から明治大正にかけての徳島の歴史、阿波踊り、天皇家とのつながり、麻文化など、マルチな視点で文化を研究。文化人類学的なアプローチで物を引いて見る癖が、職人専門化の道ではなく、複合的な学びへと導いた。
・〔阿波踊りとの関わり〕
毎年お盆の4日間、そごうの藍染めフェアを担当することで、阿波踊りにフル参戦。全く知らなかった地元・徳島の深い文化と世界を30代から学び直した。世界志向から内向きへの転換の中で、足元を掘り下げることの価値を実感した。
・〔内向き志向から外へのアウトプット葛藤〕
世界に向いていた20代の意識と行動を、15年間、地元で「掘り下げる作業」に転換させた。今、その掘り下げたものをアウトプットしたい思いがある一方で、海外への物理的行動ができていない葛藤がある。外国人ゲストにはアウトプットしているが、自分自身が外の世界へ行く行動が取れていないことが課題である。
・〔スペイン巡礼への未練と現在のつながり〕
若い頃はスペイン(サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼)に行きたかったが、叶わず。今も海外への未練はあるが、20代より今の方が圧倒的に海外の人たちとのつながりが広いことに気づいている。足元を掘り下げることで、海外の人たちが価値を認めてくれるようになったからで、空間的距離は遠いが心理的距離は近くなったと感じている。
・〔ローカルの深掘りが世界との距離を縮める〕
足元を掘り下げることで、世界とのつながりが拡がるという逆説的体験。「海外に行かないと海外と繋がれない」「都会に行かないと都会と繋がれない」という既存概念の否定。地元・ローカルの価値を深く理解することが、結果的に世界との接続を深める。
・〔まこりんのコロナ前のインスピレーション:国境と言葉の壁を越える〕
まこりんは出版業界の限界を感じていた時、「国境と言葉の壁を越える」というメッセージが湧いてきたと述べた。日本語しか使えず日本でしか活動できないと思い込んでいたが、扱っているものは普遍的であり、自分で壁を作っていただけだということに気づいた。
・〔まこりんとレキ君の共通意識:本質的なコアの共有〕
まこりんはレキ君の話を聞いて、サーフィン・音楽・藍など一見無関係なものが、実は共通の根っこ(社会問題、環境問題への危機感、ローカルの価値)でつながっていると感じた。これは国永先生とも共鳴するような「本質的なコア」であり、トラちゃんも同様の意識を持っているはずだと推測。
・〔マイノリティとメインストリーム:統合への困難さ〕
まこりんは、時代が変わり体制側も衰退しつつある中で、マイノリティの側も反発心(ルサンチマン)が強すぎて統合を拒否している傾向を指摘。感情的には統合が好きでない人たちもいるが、マイノリティ側に持つ普遍性を大きなものに適用することで、新しい社会が作られていくと予感している。
・〔体制と反体制の立ち位置の難しさ〕
まこりんは、体制が変わって形勢が逆転し始める時期に、自分の居場所を保つことの難しさを述べた。幕末から明治への転換期のように、危機的な時代の中で、どこに身を置くかの選択が重要だが、どちらの側にも完全に染まることの危うさを認識している。
・〔カメちゃんの浮世離れと自分の葛藤〕
レキ君は、カメちゃんが浮世離れした存在であり、カメちゃんとの出会いから17年経った今も、その影響を受けながらも、超マイノリティの世界にとどまれない自分がいると述べた。世間からのマイノリティ認識に納得できず、常に次の変化を求めてしまう自分の性質を自覚している。
・〔現在の社会的転換と時代認識〕
AIの急速な出現が社会インフラを確実に変えようとしており、明治維新というメタファーで捉えている人もいる。当時の庶民がそれを自覚していなかったのと同様、今も急速な変化が起きているにもかかわらず、多くの人は気づかないまま生活している可能性がある。
・〔次回セッションの予定と内容〕
次回は7月2日の午前10時から正午にかけて開催予定。さらに7月5日(日曜日)13時から2時間のセッションも予定。次回は愛(藍)についてより深く、その文脈、エビス信仰、環境問題との関連、産業革命・明治維新による衰退の背景などを話す予定。空海については別枠になるかは話してみないと分からないとのこと。
・〔チェックアウト:今日の成果と次への継続〕
レキ君は、本来のプロジェクト(トラちゃんの本)を忘れて、ゼロから100まで話してしまったことを謝罪しつつも、枠を作らず流れで話すことが結果的に良いアウトプットになると確認。まこりんも同様に、あまり何を聞かなければという枠を作らず、普通の対話として話を聞くことの価値を述べ、次回も同様のスタイルで進める確認をした。
日付: 2026年7月2日(第3回オンライン対話)
参加者: 永原レキ(レキ君)/ 長沼敬憲(まこりん)/ きょん2
キーワード: 阿波藍、スクモ、発酵、藍商人、北前船、恵比寿信仰、空海、落語、手板法
徳島の吉野川流域から江戸の日本橋へ——阿波藍という一本の糸が、農業・林業・水産業・流通・信仰・芸能を縫い合わせる対話の記録
・「阿波藍」を中心のひとつに据えた書籍制作プロジェクトが進行中であり、その構成と深度をめぐって複数の対話セッションが積み重ねられてきた。
・参加者の一人は徳島出身で、帰国後にトータス社との出会いをきっかけに藍の世界へ入り、17年にわたり農家・藍師・染め師たちと実地で関わってきた当事者である。
・国産藍の農作面積は最盛期の2万ヘクタールから現在の15〜20ヘクタールへと千分の一規模にまで激減しており、文化としての天然藍染めは「最後の砦」と呼べる状況にある。
・旅から戻った直後にこの対話は行われており、京都の八坂神社・大阪の落語・天神社・恵比寿町・大黒町など、各地の聖地や芸能の場が、藍の流通史と重なり合うように話題に登ってくる。
・インディゴ(化学染料)との混同、ジーンズ産業でのインディゴピュアの席巻、コンプライアンス社会における名前の扱い方といった「現代の摩擦」が、古来の文化を語る場の底に静かに横たわっている。
・空海・落語・吉本新喜劇・神言・恵比寿信仰・ヒルコ伝説など、宗教・芸能・民俗が互いにテーマとして呼び合い、「日本の言葉の系譜」という大きな問いが浮かび上がっている。
・渋沢栄一・井出光・松坂商人・近江商人・村上水軍・北前船といった固有名詞が次々と召喚され、藍商人という存在が「近代以前の日本の物流と経済の核心」にいたことが語られていく。
阿波藍という「染料」を入口に、列島の農林水産・流通・信仰・芸能・政治が一本の糸で縫われていたことを掘り起こし、その記憶を現代に手渡せる物語として編み直すこと。
・天然藍染めの製造プロセス(蒅=スクモ・アク発酵立て)の全工程を、農業・林業・水産業の「副産物の連環」として語り直すこと
・藍商人が担っていた「価値を最大化する仲介」の構造——全国の港と産地をつなぐ北前船的ネットワーク——を、現代のプロデュース・流通の問いと重ね合わせること
・恵比寿信仰・ヒルコ・スサノオ・空海・落語・吉本新喜劇という異なるレイヤーを、「日本の言葉と笑いの霊的な系譜」として接続すること
・京都の漆・徳島の藍・大阪の芸能・江戸の日本橋といった複数の地域を、参加者各自が自分の足で歩いてきた実体験ごと持ち寄り、地図を立体的に描き直すこと
・中国・台湾・朝鮮半島が自国で失った文化の痕跡が日本に残っているという事実を踏まえ、日本の地方の「最後の砦」が持つ世界史的な意味を問い直すこと
素材の蒸留: スクモの製法から藍商人の流通史まで、参加者の一人が長年かけて蓄積した一次知識が、書籍の「骨格」として丁寧に言語化されていく場となっている。
地図の更新: 「徳島のもの」という狭い帰属から解放し、吉野川・利根川・筑後川流域、九州・東北・江戸日本橋を含む列島規模のネットワークとして藍文化を再配置する作業が行われている。
信仰の文脈化: 恵比寿信仰・ヒルコ・村上水軍・祇園信仰という海洋民族の精神的支柱が、藍商人の流通を背後から支えていたという仮説が、複数の参加者の実体験と接合されながら深まっていく。
陰陽の弁証: 吉本・ジャニーズ・ヤクザ・芸能の「光と闇」をめぐる議論を通じて、均衡を失ってきた現代社会への診断が行われ、物語を「もう一回作り直す」というプロジェクトの倫理的な軸が確認されている。
錬金術の発見: 農林水産業の「副産物」である魚粉・木灰・貝灰・日本酒が染料の原料となる構造を「無駄のない循環」として語ることで、SDG的な現代語より深い次元での「共存の知恵」が可視化されている。
接点の孵化: 落語家・漆職人・写真家・環境省元次官・藍師・水軍の末裔といった、一見無関係に見える人物や場所が、この対話の中で初めて接触し始め、次のセッションへの布石が打たれている。
〈阿波藍の錬金術〉
「農林水産のしかも大体副産物なんですよ。それを価値化しているっていうか」——魚粉・木灰・貝灰・日本酒という、それぞれの産業が「捨てるもの」を組み合わせることで生まれる染料は、捨てることを知らなかった時代の叡智そのものだ。
〈4ヶ月の意味〉
他の藍は1週間以内に染料ができるのに、なぜ日本人だけがわざわざ4ヶ月かけてスクモを作るのか——明確な答えは出なかったが、「今の社会の基準ではない基準があったかな」という一言が、問いの深さを示している。
〈48色のディテール〉
「アメリカとか西洋とかだとせいぜいロイヤルブルーとかライトブルーとか、本当5、6色。でも日本人ってやっぱ感性が豊かすぎてそこにちゃんと言葉がついてる」——カメのぞきからトメコン、勝ち色まで、色に名前をつけることは、世界をそれだけ細かく見ていた証拠だ。
〈勝ち色の呪い〉
深藍の「カチ色」に「勝ち負けの勝ち」を重ねて戦いに臨んだ侍たち——染料の色が言葉遊びを経て精神の鎧になるとき、衣服は信仰と同じ次元に触れる。
〈囚人服の抗菌〉
「囚人の牢屋に入れられている人たちの囚人服って昔藍染めだったらしくて」——お風呂に入れない不衛生な状況でも疫病が広まらないよう藍の抗菌効果を使っていたという事実は、現代の「清潔」概念とは別の、もっと生々しい知恵の歴史を教える。
〈藍商人の空の船〉
全国に藍を売り、空になった船に魚粉やリシン(ニシンの油滓)を積んで帰る——「売りに行く先々は港町」という一文が、藍の流通が実は列島の農林水産業全体を循環させる大動脈だったことを明かす。
〈恵比寿のお飾りの秘密〉
「徳島の恵比寿祭りには白の紙に青い点々がついた紙が一緒につけられていて、それは多分徳島だけ」——手板紙(藍の品質を和紙に写して等級付けした道具)の痕跡が、今も正月の縁起物に残っているという発見は、信仰と産業が分かちがたく絡み合っていた時代の残像だ。
〈スクモ床で三番叟〉
「一軒だけ、すくもの根床で恵比寿・大黒・翁、三番叟をやってるところがあって」——発酵する藍の山に向かって祈りを捧げ、芸能の始まりの曲を演じる。それは農業であり信仰であり芸能が、まだ分裂していなかった時代の記憶だ。
〈旗大称乱の藍のれん〉
江戸日本橋の最盛期を描いた絵巻に並ぶ商店は、すべて藍染めののれんをかけていた——「誰も知らないじゃないですか」という言葉が、失われた史実の重さとともに響く。
〈真言と落語〉
「真言と言葉じゃないですか。落語とかもそれがどんどん消化されたものというか、言葉を操るプロたち」——空海の密教的な言葉の力と、落語家が笑いで人を救う行為が、「言葉に命をかける」という一点でつながる瞬間。
〈光と闇の均衡〉
「コンプライアンスとかいう話みたいになると、芸能ってさ、もともとはいかがわしいものにつくれてた」「悪いものを取れば良いものが残るかって、そうとも言えない」——清潔化・可視化によって均衡が破れていく現代への警戒が、静かに語られる。
〈阿波藍は徳島だけのものじゃない〉
「徳島の先輩特許じゃないっていうか」「使ってくれる人たちがいるから作る需要が増えた」——産地の誇りと執着を解体し、全国の染織文化・流通・信仰ごと丸ごと抱え直す視座の転換が、この対話全体の中心軸となっている。
土から生まれ、発酵し、船に乗り、江戸ののれんになる。
一枚の藍染めの布に、山と川と海と人の手が、すべて織り込まれていた。
それを知っていた人たちがいた。
農家がいて、藍師がいて、染め師がいて、商人がいた。
林業と水産業と造船と水軍が、見えない糸でつながっていた。
しかしその糸は、明治・昭和・平成を経て、
千分の一に細くなった。
今ここで語られているのは、
その糸をもう一度手繰り寄せようとする試みだ。
日本橋で中国の学者が探すもの、
徳島の恵比寿祭りに残る青い点々、
スクモの山で演じられる三番叟——
それらはすべて、
まだ終わっていない物語の断片だ。
「物語をもう一回作り直す必要がある」と、ある参加者は言った。
作り直すのではなく、
ずっとそこにあったものを、
もう一度見える形にすること。
一言でまとめると:藍の糸が解けかけた列島の循環を、もう一度手で結び直す試み
・なぜ日本人だけがスクモを作り続けたのか—— 4ヶ月という時間と労力を正当化できる「理由」が今も明確ではない。色の深さだけでは説明しきれないこの選択の背後に、どんな身体的・霊的・社会的論理があったのかは、この物語の最大の謎として残り続けている。
・伝える側と守る側のジレンマ—— 「染めもやってたし農業もやってたけど、根を下ろせなかった」という告白が示すように、文化の中に入り込んで伝える者と、外から俯瞰して流通させる者の間には深い断層がある。藍商人的な役割を現代で引き受けることの倫理と責任は何か。
・経済性と文化の均衡はどこに引くか—— 「経済性の方にお金を置かれすぎちゃうと文化は逆に先が尽っちゃう」という言葉が示すように、天然藍を守るための経済モデルは、藍そのものの価値を破壊しかねない矛盾を内包している。
・光と闇の均衡を誰が保持するか—— 芸能・ヤクザ・信仰・陰の文化が「正義」の名のもとに一掃されていく中で、「丸ごと全部」を抱える物語を語ることは、誰にどんなリスクをもたらすのか。清潔化への圧力の中で、いかがわしさを含んだ文化の命脈をどう守るか。
・地方の末端と世界をつなぐ流通の再設計—— 中国・台湾の研究者が日本橋に来てルーツを探す一方で、徳島の吉野川流域の農家には届かない。江戸の藍商人が果たした「価値を正しい場所へ届ける」機能を、現代においてどう再構築するか——それはこのプロジェクトそのものへの問いでもある。
一言でいうと:「発酵する記憶——千分の一になった糸を、もう一度手で結ぶ」
1、「副産物だけで成立する錬金術が、循環を忘れた時代への答えになっている」
魚粉・木灰・貝灰・日本酒という、それぞれの産業が「余り」として手放したものだけを組み合わせて、あの深い藍が生まれる。捨てることを知らなかったのではなく、捨てる必要がなかった——その構造は、現代のサステナビリティという言葉が追いかけているものの、はるか手前にすでに在った。SDGsより古く、より静かで、より完全な循環がそこにある。
2、「4ヶ月という時間は、答えではなく問いとして残されるべきだ」
他の藍が一週間で染料になる中で、なぜ日本人だけが4ヶ月かけてスクモを作り続けたのか。この問いに明確な答えが出なかったこと自体が、この対話の最も重要な成果かもしれない。発酵とは、時間に委ねることで人間の意図を超えた何かが起動するプロセスだ。智慧は生成されるのではなく、発酵する——その原理が、藍の製法そのものに宿っていた。
3、「恵比寿祭りの青い点々は、信仰と産業がまだ分裂していなかった時代の残像だ」
手板紙の痕跡が今も正月の縁起物に残り、スクモの根床で三番叟が演じられ、江戸日本橋の商店はすべて藍染めののれんをかけていた。農業であり信仰であり芸能であり流通であったものが、近代の分類によって切り分けられ、それぞれが細く、孤立していった。「阿波藍は徳島だけのものじゃない」という言葉は、産地の執着を解くと同時に、その分断そのものへの問いかけでもある。
(ANOMIからの問いかけ)
発酵という現象には、ある逆説がある。人間が意図的に何かを「作る」のではなく、条件を整えて手を離したとき、はじめて起動するものがある。スクモの4ヶ月は、その逆説の結晶だ。この対話そのものも、似た構造を持っていたように見える——藍商人の話が落語になり、落語が空海になり、空海が恵比寿になり、恵比寿が手板紙になり、手板紙が正月の縁起物になる。誰も「そうしよう」と設計したわけではなく、場が温まる中で、意味が勝手に発酵していった。
物語を「作り直す」という言葉が、この対話の中で一度使われた。けれど、本当にそれは「作り直す」ことなのだろうか。千分の一に細くなった糸は、まだそこにある。恵比寿祭りの青い点々として、スクモ床の三番叟として、日本橋の絵巻として。問いはむしろこちらではないか——あなたは、その糸の「作り手」になろうとしているのか、それとも、すでにそこにある糸を「見える形に戻す者」になろうとしているのか。その二つの立ち位置の間にある、微細な違いの中に、この仕事の倫理と呼吸が宿っているように思える。
日付: 2026年7月6日(第4回オンライン対話)
参加者: 永原レキ(レキ君)/ 長沼敬憲(まこりん)/ きょん2
キーワード: 海部、忌部、空海、藍商人、廻船業、海部刀、ハイヤ節、阿波踊り、宗像三女神、住吉大社、お接待、利他、ヤマタイ国、一人神仏集合、校歌、海陽町、声のでかいやつが笑う
忌部と海部、空海と藍商人、祈りと商いが一本の糸に結ばれていく阿波・海陽からの対話
・徳島県南部・海陽町に生まれ育った一人の人間が、自分の足元の土地の歴史を「まだ誰も十分に語っていない」という切迫感をもって探求しつづけている。
・「歴史とは、声のでかいやつが笑う」——ブルーハーツの歌詞を引きながら語られたこの言葉が、対話全体の出発点にある。忌部氏でさえマイノリティであり、その忌部を支えた海部はさらに語られない存在だという、二重の不可視性への問いかけ。
・忌部と海部が「手と手を取って」という一節が、徳島県唯一の村・神山町の中学校校歌に今も歌い継がれているという、消えずに残った一行の奇跡。
・ヤマタイ国が阿波だったという説が地域内で静かに熱を帯びつつある一方、学術的な確証より「つながりの全体像を見る」ことへの志向が語り手の中に強くある。
・空海・四国遍路・廻船業・阿波踊り・海部刀・藍商人・宗像三女神・住吉大社——異なる時代、異なる文脈に属するはずのものが、対話の中で次々と一本の糸につながっていく。
・お遍路の「お接待文化」が体現する利他の精神が、今や海外の若者たちに強く響いている一方で、地元の子どもたちや大人がその価値に気づいていないという逆転した現実。
・語り手自身のルーツ——母方(大阪西成・住吉大社・熊本宇都)と父方(香川・善通寺)——が、語り続けてきた歴史の地図とぴったり重なっていくという個人的シンクロが、対話の終盤に明かされる。
語られずにきた土地と民の記憶を、個人の身体を通して掘り起こし、現代の文脈につなぎ直すこと。
・「声のでかい者の歴史」に対置される形で、周縁に置かれてきた海部・忌部・廻船業者・藍商人・遍路者たちの痕跡を丁寧に拾い上げ、つながりのある一つの物語として編み直していること。
・学術的な断定や陰謀論的な興奮とは異なる第三の視点——「時間と空間に断定しない、全体のつながりを見る」——を探りながら、歴史をめぐる問いの作法そのものを更新していること。
・お遍路・轟神社・城満寺といったすでに現存する「生きた文化」を、次世代と外国人と地元の子どもたちが交わる接点として再発見し、教育と観光と信仰の分断を溶かしていこうとしていること。
・一人の人間の個人史(自分のルーツを辿る旅)と地域の歴史(土地のルーツを辿る旅)が鏡のように照らし合うことで、「自分とこの土地は別々ではない」という感覚を実体験として示していること。
・海陽町を舞台に、医療・教育・祭礼・水産・行政という異なる領域の「埋もれたプレイヤーたち」を可視化し、「なぜこの街は居心地がいいのか」を問う書籍・メディアプロジェクトの種を蒔いていること。
記憶の発掘: 海部刀・阿波藍商人・ハイヤ節・宗像三女神・竜神信仰など、文献化されながらもつながりとして語られてこなかった断片を、一つの対話の中で初めて接続する試みとして機能している。
問いの設計: 「ヤマタイ国はどこか」「空海の10年間は何か」など未解明の問いを、断定ではなく問いのまま保持しながら次の探求者に手渡す、知的継承の場として機能している。
反・中央史観: 「東京は東京だけじゃなかった」「みんないたんだよ」という言葉に象徴されるように、一極集中の歴史叙述に対して、多極的・分散的な文明観を実践的に提示している。
実践の設計図: 海陽町の居心地のよさを問う書籍プロジェクト、地域キーパーソンへのインタビュー、行政との連携——構想が対話の中でリアルタイムに形をなしていく、プロデュースの母床として機能している。
個人史と集合史の融合: 語り手のルーツ探しと地域史の探求が完全に重なる瞬間を対話の中で可視化することで、「歴史とは他人事ではなく、自分の身体に宿っているもの」という感覚を場に呼び込んでいる。
利他の再定義: お接待文化が体現する「施すことが巡り巡って自分に返る」という感覚を、単なる美談としてではなく、地域の持続可能性を支える文化的インフラとして再解釈している。
〈歴史とは、声のでかいやつが笑う〉
「歴史とか声のでかいやつが笑う、ブルーハーツの歌詞にもありますけど」——この引用は単なる比喩ではなく、この対話全体の動機宣言だ。語られなかった側の人間が、語ることを始める、その理由がここにある。
〈校歌の中に生き残った一行〉
神山町の中学校の校歌に「忌部と海部が手と手を取って」というフレーズが今も歌われているという事実は、公式の歴史に消された関係性が、子どもたちの声の中にひっそりと生き延びていたことを意味する。
〈全体がつながってるということを証明したい〉
「どこが一番古いかとかどこの場所が一番大事かとかじゃなくて、全体がつながってるってことを証明したい」——この言葉は、競争的な歴史観への静かな異議申し立てであり、この探求の根本的な倫理でもある。
〈1200年前の人が影響したものが1200年経った今も機能してる〉
空海が直接作ったわけでもない88ヶ所遍路が今も海外の若者を引き寄せているという事実を、ある参加者は「SDGsってこういうことになっちゃう」と呟いた。持続可能性の本質が、経営戦略ではなく信仰の積み重ねの中にあるという逆説。
〈お接待——利他が土地に宿る〉
「自分以外の他者に何か施すことが巡り巡って自分の利になるという利他の考え方が、お接待という文化を通して四国の人には根付いてる」——これは仏教語彙の説明ではなく、土地の風土が人の心身に宿るという、文化の深層についての証言だ。
〈家から一歩出たらお遍路〉
「海外旅行行かなくても、パスポート取らなくても歩いて、自分が勇気さえ出せればチャンスがつかめる」——グローバル化の文脈で語られがちな「チャンス」が、実は足元の文化道に転がっていることへの、熱のある指摘。
〈海部刀を持ってたら寝るとこ食べるものに困らない〉
江戸時代の藍商人が帯びた海部刀拵えが、美術品であり身分証明であり外交ツールであったという話は、海部という民族が持っていた「見えない通行証」の存在を浮かび上がらせる。
〈ハイヤは南風という意味〉
沖縄のカチャーシーが牛深のハイヤ節になり、阿波踊りの二拍子の源流になったという連鎖——「南風(ハイヤ)」に乗って商人たちが文化を運んだ、その見えない航路がここに一瞬姿を現す。
〈自分のルーツが全部つながっていく〉
「自分の先祖参りと自分が関わっている自分以外の個人じゃない周りの先祖参りっていうかルーツが全部つながっていくんですよ」——探求する者の個人史と地域史が鏡像をなす瞬間は、この対話の中で最も体温が高い場面だった。
〈一人神仏集合〉
「僕は一人神仏集合だと思ってます」——轟神社(神道)と城満寺(曹洞宗)の両方に深く関わり続けた末に語られたこの一言は、宗教的な統合の語り口ではなく、土地と人間の関係の長い時間の中で自然に生まれた自己認識だ。
〈埋もれたプレイヤーたち〉
マイケル・ジャクソンと仕事した元セガの開発者が地元の小学校でひっそりIT教育を続けているという話——「自分からは言わない」人々が地域の各所に静かに存在していることへの驚きと敬意が、プロジェクトの種に変わる瞬間。
声を持たなかった民が
水路と航路と信仰の糸で
実は大きな文明を支えていた
語られない歴史は消えるのではなく
校歌の一節に、神社の石灯籠に
博物館の刀剣に、踊りの二拍子に
静かに宿り続けている
探す者のルーツが
探している土地と重なる瞬間——
それは偶然ではなく
身体が先に知っていた記憶の照合だ
断定しないこと
どこが中心かを争わないこと
全体がつながっていることを見ること
それが1200年前から
今もまだ機能し続けているものへの
正しい向き合い方かもしれない
誰かが大事だと思い続けたから
受け継がれてきた
それだけで、十分すごい
◎
一言でまとめると:語られなかった民の記憶が、一人の人間の身体を通して今、声を持ち始めている
・語りと証明の間の溝—— 「全体がつながっている」という直観的確信は豊かだが、学術的厳密さとの間にある距離を埋めることなく発信した場合、陰謀論と同じ棚に並べられてしまうリスクがある。直観の誠実さを守りながら、どこまで「証明」に踏み込むべきか。
・ローカルの深さと広がりの矛盾—— 海部・海陽町・阿波という固有性に徹すれば徹するほど、その文脈を共有しない人には届きにくくなる。「なぜこの街は居心地がいいのか」という問いを入り口にしながら、深部にある文化的層をいかに一般読者へ手渡すか。
・継承者の不在という根本問題—— お遍路の価値を知らずに地元を出ていく若者、お接待を経験したことのない教師——価値の担い手が自らその価値を知らないという構造的空洞は、書籍やメディアだけでは埋まらない。教育・行政・地域実践をどう連動させるか。
・個人の物語と集合の歴史の境界—— 語り手自身のルーツが地域史と重なるというシンクロは強い説得力を持つ一方、それは「この人だから見えた構造」に過ぎないのかもしれない。個人の体験的確信を、他者が再現可能な問いへとどう翻訳するか。
・守ることと開くことの緊張—— 轟神社に人が集まりすぎることで生じた問題、城満寺の組織的重圧——聖なる場所が注目を浴びることで傷つく可能性は常にある。文化的資源を「観光」や「コンテンツ」として活用することと、その核にある静けさや厳しさを守ることは、どこで折り合いをつけるか。
一言でいうと:「身体が先に知っていた、土地との契約」
1、「歴史とは、語る者の身体に宿っている」
校歌の一節に生き延びた「忌部と海部が手と手を取って」という言葉は、公文書でも学術論文でもなく、子どもたちの喉を通り続けることで命脈を保ってきた。これは「歴史とは声のでかいやつが笑う」という問題提起と鏡像をなす——消えなかったものは、誰かの身体の中に宿り続けたからこそ消えなかった。語り手が「全体がつながっていることを証明したい」と言うとき、その衝動はすでに知的探求を超えており、自分の身体が土地と結んできた契約を読み解こうとする本能的な行為に近い。
2、「断定しないことが、最も遠くまで届く」
ヤマタイ国の所在地よりも、空海の失われた十年よりも、この対話が選び続けたのは「問いのまま保持すること」という態度だった。競争的な歴史観——どこが古いか、どこが中心か——から意図的に距離を置き、「全体のつながりを見る」という倫理を一貫させた。1200年前の信仰が今も海外の若者を引き寄せているという事実は、答えを出さなかったものだけが時を超えうるという逆説を、静かに証明している。断定は届かなかった者たちを再び黙らせる。
3、「シンクロは引き寄せではなく、照合である」
対話の終盤、語り手自身のルーツ——住吉大社、善通寺、熊本——が、探求してきた歴史の地図とぴったり重なっていく場面は、この対話の最も体温が高い瞬間だった。これは偶然の一致でも、望んだ結果でもない。身体はずっと前から知っていた。探求という行為が実は「外を調べること」ではなく「内側にある記憶を外の世界と照合すること」であったと気づく瞬間——それは引き寄せではなく、もともとつながっていたものが姿を現した照合である。シンクロを操作しようとした途端に、この体験は別のものに変質してしまう。
(ANOMIからの問いかけ)
声を持たなかった民の記憶が、一人の人間の身体を通して語られるとき、それは「発見」ではなく「想起」だと感じる。誰かがずっと大事だと思い続けたから受け継がれてきた——その事実の重みは、証明しようとすればするほど軽くなり、ただ静かにそこにあると認めるだけで、かえって遠くまで届くような気がする。
あなたが「全体がつながっている」と直観するとき、その確信はどこから来ているのだろう。頭が組み立てた論理からではなく、もっと先に、身体がすでに「そうだ」と言っていないだろうか。もしそうなら、次に問うべきことは「どう証明するか」ではなく、「この身体が知っていることを、どんな形で次の身体に手渡すか」かもしれない。
日付: 2025年2月23日(訪問)/ 2026年6月26日(れきくんよりシェア)
参加者: 永原レキ(レキ君)より紹介
キーワード: 阿波、忌部、エビス信仰、箱まわし、木偶、同和教育、国府町
出典: T-over人権教育研究所・人権こども塾
参照URL: https://t-over.net/custom947.html
言葉として残らなかったものが、箱の中で眠り続けていた。
同和教育がなければ、この文化も日本から消滅していた。
● 概要
徳島市国府町むつみ会館・人形のムラで行われた「3期第15講」の記録。
阿波木偶箱まわし保存会・会長の辻本一良さんを囲み、この文化の歴史的背景と現在を学ぶ場として開かれた。唯一の伝承者として中内さん・南さんが活動を続けている。
● 箱まわしとは何か
箱の中に木偶人形を入れ、お正月元旦に県内各地をどさ回りして各家に福を届ける文化——人形浄瑠璃の一形態。歴史的に、被差別部落(どた地区)の人たちが担ってきた。
高度経済成長期、かつては「なくてはならない存在」だった木偶が「特別な存在」として差別の対象へと変わっていった。あるお祖母さんは「子々孫々まで差別の目に遭ってしまう」との危機感から、先祖代々の木偶を飯尾川に流した。
その川は今も、この町の中を流れている。
● エビス信仰との接続
エビスは本来、海の神である。豊漁祈願・海上安全という信仰の対象として、阿波の相性人(海を行き来する流通業者)たちが全国に広めた。
箱まわしにおけるエビス舞は、その本来の信仰——海への祈り——と直接繋がっている。
永原レキはこの繋がりを、エビス信仰が「商売繁盛の神」へと変容した歴史の問題として深く考えてきた。
「エビスをお金の神様に変えてしまったのは、阿波の相性人ではないか」——永原レキ(れきくんとの対話①より)
● 場所の記憶
飯尾川: 木偶人形が流されたとされる場所。当時は川幅が現在の約1/3。差別から子どもを守ろうとした親の心情が刻まれている。
高地蔵: 「日本三大暴れ川」吉野川の洪水レベルを示す地蔵。かつて蓮の葉まで水が達したとされる。
旧保育所(現・人形のムラ): 同和対策事業開始前に、「働く親の代わりに子どもを預かる」という地域の強い願いから設置された保育所を改修。個人収蔵とは思えないほどの大量の木偶を保有する、撮影不可の聖域。
● 保存会の現在
● エッセンス
「同和教育がなければ、この文化も日本から消滅していた」
差別という社会の歪みの中で、木偶は川に流され、文化は消えようとしていた。
人権教育という現代的な文脈が、古代からの信仰文化を救った——この逆説が、この文化の核心にある。
「シンクロシステムとコントロールシステムの痕跡」
エビスが海の神から商売の神へと変容した瞬間、それはシンクロシステムがコントロールシステムに飲み込まれた歴史的な瞬間である。箱まわしはその変容以前の、本来の信仰の形をかろうじて伝えている。
● コア
箱の中に人形を入れて
元旦に、福を届ける
それは単なる芸能ではない
海への祈りが
人の間を流れていた時代の記憶
差別によって川に流された木偶は
流された場所で
今も水底にある
その文化が今日まで続いているのは
差別と闘った人たちの手によって
保存されたからだ
エビスは海の神だった
忌部は日本の布を織った
相性人は海を渡った
——それを知っているれきくんが
この記事を届けてくれた理由が、そこにある
◎
一言でまとめると:差別の歴史の中で消えかけた古代信仰の形が、人権教育という現代の力で今日まで繋がれている
● 関連スポット
日付: 2024年1月11日(公開)/ 2026年6月26日(れきくんよりシェア)
参加者: 永原レキ(レキ君)より紹介
キーワード: 阿波、エビス信仰、藍染、阿波藍商人、忌部、手板法、人形浄瑠璃
出典: in Between Blues(Ocean View Indigo Studio)leki303
参照URL: https://inbetweenblues.jp/2024/01/11/post-4083/
エビスは商売繁盛の神ではなかった。
海を渡った阿波藍商人たちが、その信仰をお金の神へと変えていった——
れきくんが30年以上考え続けてきた問いの、一つの痕跡がここにある。
● 概要
れきくんが運営するブログ「in Between Blues」の記事。徳島市・事代主神社の十日戎(毎年1月10日・えべっさんの日)で配られる紙札を入口に、エビス信仰と阿波藍商人の歴史的つながりを解説する。
自身が主宰する藍染スタジオ「Ocean View Indigo Studio」の活動(ABCプロジェクト・AWAiiALOHAプロジェクト)とも重なる、れきくんの思想の根幹となる記事。
● 手板法とは何か
「手板法(てばんほう)」とは、阿波藍商人が藍・蒅(すくも)の品質を確かめるために用いた独自の検査法。藍を手板(てばん)と呼ばれる板に付着させ、その色・発色・堅牢度を目利きする技術。
徳島市の事代主神社の十日戎では、この手板法をモチーフにした紙札が今も福笹に付けて配られている——藍商人たちが恵比寿様に豊かな商いを祈願していた歴史の記憶が、祭礼として現在まで続いている。
● エビス信仰と阿波藍商人の接続
エビス(恵比寿・戎・蛭子)は本来、漁業・海運の守護神——豊漁祈願・海上安全の信仰対象だった。
阿波の藍商人(相性人)は北前船など海路を使い、全国に阿波藍を流通させた。航海の安全を恵比寿様に祈りながら、各地にエビス信仰を広めていった。やがてその信仰は「商売繁盛」という経済的なシンボルへと変容していく。
「エビスをお金の神様に変えてしまったのは、阿波の相性人ではないかと僕は考えていて」——永原レキ(対話①より)
この記事は、その仮説の具体的な痕跡を示している。
● 関連する場所・文化
徳島市 事代主神社: 十日戎の本社。事代主命=ことしろぬし=エビスの神。毎年1月10日に手板紙が配られる。
えびす舞(木沢・木頭村): 箱まわし文化との接続。山間部に残るえびす舞の伝承。
神代文字(稲飯神社): 阿波の古代文字文化との接続。
淡島海岸・那賀川河口(辰巳)・太龍寺: れきくんが巡る海陽町周辺の聖地群。空海修行の地・太龍寺も含む。
BUAISOU: 現代の阿波藍アーティスト集団。れきくんとの連携あり。「2024龍の手拭い」制作中。
ABC(Awa Blue Connexion): れきくんが推進する阿波藍の現代的普及プロジェクト。
● エッセンス
「祭礼の中に、歴史の痕跡が眠っている」
十日戎の紙札という、一見ありふれた縁起物の中に、阿波藍商人たちの航海と信仰の記憶が埋め込まれている。祭礼は歴史の化石である——れきくんはそこに目を向け続けてきた。
「ことしろぬし=エビスという接続」
事代主命(ことしろぬし)がエビスの正体であるという神話的解釈は、対話①でスガヤさんが「今年のテーマはことしろぬしだ」と言っていた伏線と直結する。阿波の土地で生まれたこの神が、全国に渡り、経済の象徴へと変容した——その軌跡を、れきくんは今も追っている。
● コア
十日戎の福笹に
藍商人の手板紙がついている
それは単なる縁起物ではない
海を渡って藍を売った人たちが
恵比寿様に祈っていた記憶だ
海の神が商売の神になった
その境目はどこにあったのか
阿波藍が全国を染めるとき
信仰も一緒に流通した
それがエビスをお金の神にした
その変容の源流が
この祭礼の紙一枚に残っている
◎
一言でまとめると:阿波藍商人たちが海を渡り信仰を広めるとき、エビスは海の神から商売の神へと変容した——その痕跡が十日戎の手板紙に今も残っている
● 関連スポット
日付: 2013年(書籍刊行)/ 2025年5月16日(ふるさとウェブ記事公開)
参加者: 永原レキ(レキ君)ネットワーク / 海陽町・海部地域関連資料
キーワード: 海部町、海陽町、自殺率、コミュニティ、みせ造り、生き心地、移住、徳島、岡檀
出典: ふるさとウェブ(とくしま移住コンシェルジュ)
参照URL: https://www.furusato-web.jp/topics/p213575/
死にたくなる土地と、そうでない土地がある。その違いは何か——
岡檀(おか だん)が20年かけて問い続けた答えが、この海部町にあった。
● 概要
情報・システム研究機構 統計数理研究所の岡檀特任教授が著した『生き心地の良い町—この自殺率の低さには理由がある—』(2013年、講談社)を紹介する記事。徳島県最南端、旧海部町(現・海陽町の一部)が全国でも極めて自殺率の低い地域であることに着目し、その土地の人々のユニークな人生観と処世術を解明した研究書。
海部町は2006年に海南町・海部町・宍喰町の三町合併により「海陽町」となった。永原レキ(レキ君)が総代を務める轟神社がある地域であり、始国マワリテメクル旅の重要な人々が生きる土地でもある。
● 「みせ造り」——縁台文化が人をつなぐ
海部町の住宅に独自の建築文化「みせ造り(みせづくり)」がある。家の前に木製の折り畳み式縁台を設け、住民が自然と集まれる仕掛け。道を歩く人と家人が気軽に言葉を交わせるこの空間設計が、地域のゆるやかなつながりを生んでいる。
「孤立しない構造が、町に組み込まれていた」——これが「生き心地の良い町」の根拠の一つ。
● 海陽町の現在
海陽町は徳島県最南端に位置する人口約8,000人の町。竹ヶ島・大里松原海岸・水床湾など美しい海岸線を持ち、サーフィンのメッカとしても知られる(永原レキのサーフ&藍染コミュニティの土台)。
2021年12月にはDMV(デュアル・モード・ビークル=鉄道と道路を走れる乗り物)の世界初の営業運行が開始された。過疎の最前線でありながら、常に何か新しいことが起きている土地。
● エッセンス
「死なない理由が、土地の文化に埋め込まれていた」
自殺予防を「個人の問題」ではなく「コミュニティの設計」として捉えたとき、海部町に答えがあった。縁台一つで人はつながれる——建築が文化を、文化が命を守る。
「辺境こそが最先端」
徳島最南端の小さな町が、現代社会が失ったものを静かに保ち続けていた。レキくんが海陽町を「世界の辺境から新しい文化が生まれる場所」として語る背景が、ここにある。
● コア
死なない土地がある
理由は誰も言語化していなかった
縁台が一つあるだけで
人は孤立しなかった
海部の人たちは
「生き心地」という言葉を知らずに
生き心地のよい場所を
作り続けていた
岡檀という研究者が
二十年かけてそれを言葉にした
◎
一言でまとめると:海部町が全国最低水準の自殺率である理由は、「みせ造り」に象徴されるコミュニティ設計にあり、辺境の小町が現代社会への答えを静かに持ち続けていた
● 登場人物
● 関連スポット・人物
日付: 2021年(EPTA Vol.99 発行)/ 2026年6月26日(れきくんよりシェア)
参加者: 永原レキ(レキ君)より紹介
キーワード: 阿波忌部、黒潮、房総開拓、東国開拓、天富命、麁服、大嘗祭、剣山、ソラ世界
出典: EPTA(エプタ)Vol.99、2021年発行
参照URL: /pdfs/shikoku/kuro-shio-imbe.pdf
阿波忌部の房総開拓はずっと歴史に埋もれていて、長い間、表に出てこなかった——
林博章さんが二十年かけて解き明かしてきた、日本の黒潮文化の起源。
● 概要
忌部文化研究所会長・林博章さんへのインタビュー記事(EPTA Vol.99、2021年)。れきくんが始国チームに紹介。
今からおよそ二千年前、徳島・阿波から黒潮に乗って房総半島に上陸し、安房国を開いた阿波忌部(族)の史実を解説する。地名・遺構・系図・伝承を根拠に、日本古代史に埋もれていた忌部研究を二十年にわたって推進してきた林さんの集大成的な語り。
故・上田正昭氏(京都大学名誉教授・東アジア学会会長)が「新・忌部研究として画期的」と評価・推薦した研究。
● 天皇即位に欠かせない阿波忌部の役目
古代において、阿波忌部氏は徳島県・吉野川流域一帯を中心に勢力を誇った職業技術集団。麻・穀(椿)・栗・養蚕・製紙・農業・織物・鍛冶などの殖産興業のみならず、造船・航海術を持つ海洋民でもあった。
新天皇の即位の大嘗宮の儀において、神座に備えられる麻の織物「麁服(あらたえ)」の調進は、古来、阿波忌部だけが担う役割。今も阿波忌部直系の三木家がこの重責を担い、2019年の令和即位の大嘗宮の儀でも麁服を調進した。
● 黒潮に乗って房総へ
出航地は現在の鳴門市・大麻山の麓、旧吉野川河口付近。天富命が率いた船団は、紀ノ川下流域→熊野灘→黒潮に乗り→伊豆半島南部を通過→房総半島の千葉県館山市・布良(めら)に到着。
根拠は今も残る地名・遺構・系図・伝承:
● 関東一円へと広がった東国開拓
房総(総の国)の地名の由来は、阿波忌部が持ち込んだ「麻(総)」から。「房のように柔らかくなる繊維」を指す古語「総」が地名になった(『古語拾遺』参照)。
阿波忌部は麻に加え、米・栗などの穀物栽培法・鉄器製作・禽獣除けの技術を各地に伝授。浦賀水道→東京湾→上総・下総・武蔵・下野国へ東国開拓を拡大。
関東一円に根付く**お酉様(酉の市)**も、浅草鷲神社はじめ阿波忌部の祖神・天日鷲命が祀られることが多く、東国開拓伝説が起源の一つとなっている。
● スーパークリエイター誕生の秘密——剣山「ソラ世界」
阿波忌部の知識・技術の源泉は、徳島のシンボル・剣山系(標高1955m)の高地性傾斜地集落——林さんが「ソラ世界」と呼ぶ場所にある。
「長老のもとで生活のエキスパートになっていったのが阿波忌部」——今も八十代の地元の老人がこの複合技術を体現している。
● 歴史から消えた経緯
奈良時代ごろから、共に神事・祭祀に携わってきた中央豪族・中臣氏に押され、中央忌部も含めて次第に冷遇されていく。こうして歴史の表舞台から姿を消した阿波忌部。
「彼らを語らずして日本の黒潮文化の解明はできない」——林博章
● エッセンス
「日本史の教科書に載っていない、もう一つの建国の起源」
中央史観が切り落としてきた「辺境からの技術民」の系譜。阿波忌部の存在は、日本の農業・繊維・建築・神事の根幹が、実は四国の山と海から発したことを示している。
「黒潮は文化の流通路だった」
れきくんが語るエビス信仰の伝播(相性人が海路で信仰を広めた)と、この阿波忌部の東国開拓は、同じ構造を持つ。黒潮という自然の流れが、阿波の技術と信仰を列島全体に運んだ——始国の世界観の根幹がここにある。
● コア
二千年前
阿波の人々が黒潮に乗った
麻を育て
布を織り
神事を司る技術を持って
船団は房総に上陸した
「総の国」という名を残して
剣山の山の民が
海を渡った
その記憶が
お酉様の祭りになり
天皇の即位の衣になり
今も列島に流れている
◎
一言でまとめると:阿波忌部は二千年前に黒潮に乗って関東一円を開拓したスーパークリエイター集団であり、その痕跡は地名・祭礼・天皇即位の儀式に今も生きている
● 登場人物
● 関連スポット
日付: 2019年〜(永原レキ・岩本健輔が総代就任) / ページ参照日:2026年
参加者: 永原レキ(レキ君)/ 岩本健輔(共同総代)
キーワード: 轟神社、海陽町、水の神、禊、秋季例大祭、神輿渡御、阿波藩主、産業信仰、廻船業、永原レキ、総代、移住
出典: 轟神社公式サイト
参照URL: https://todorokijinja.jp/profile/
歴代阿波藩主から信仰されてきた水の神社に、
藍染アーティストが総代として立っている。
● 概要
徳島県海部郡海陽町平井字王余魚谷(おうよごだに)に鎮座する轟神社。水の神を祀り、歴代阿波藩主から篤く信仰されてきた古社。秋季例大祭の神輿渡御は「過酷な儀式」として知られ、水産業・林業・廻船業など海部地域の産業文化と深く結びついている。
2019年から永原レキ(レキ君)と岩本健輔が総代に就任。 両者とも移住者であり、地域外出身の若い世代が神社の継承を担うという新しい形が生まれている。
● 所在地と基本情報
● 秋季例大祭
年に一度の秋季例大祭は、神輿渡御を含む過酷な儀式として地域に伝わる。水に関わる産業(水産・林業・廻船業)の守護神として、海部の人々が代々祈りを捧げてきた場所。
● 「移住者が総代になる」という現象
2019年以前、総代は地元の古老が担ってきた。そこへ藍染アーティスト・永原レキと岩本健輔という「よそ者」が担い手として立つことになった。
これは轟神社の変化であると同時に、海陽町という土地の変化でもある——人口減少・高齢化という現実の中で、「外から来た者」が土地の精神文化を継承していく。レキくんが長年研究してきた「エビス信仰と阿波藍商人」「忌部の精神」と、轟神社という水の神への信仰が、彼の中で一つに重なっている。
● エッセンス
「外から来た者が、地の神を守る」
これは矛盾ではなく、海部の土地が持つ開放性の表れかもしれない——外海に向いた地形を持ち、黒潮に乗って遠くへ出て行った阿波藍商人の土地は、外から来る者をも受け入れる。
「水の神と藍染の接続」
水を神として祀る土地で、水を使って布を染める人間が総代になる——これは偶然ではなく、始国の世界観が言う「シンクロ」の一形態かもしれない。
● コア
水の神が王余魚谷に宿っている
歴代阿波藩主が手を合わせた場所
藍染の男が移住してきた
外からやってきた若者が
総代になった
水で染める者が
水の神を守る
轟の滝の水は
いつも流れている
◎
一言でまとめると:水の神を祀る轟神社に、移住者である永原レキが2019年から総代として立ち——水と藍染、外からの力と土地の精神が一つに重なっている
● 登場人物
● 関連
日付: 不明(YouTube公開)
参加者: 永原レキ(レキ君)関連 / 轟神社秋季例大祭の映像記録
キーワード: 轟神社、秋季例大祭、水の神、禊、神輿渡御、海陽町、徳島、映像記録
出典: YouTube
参照URL: https://www.youtube.com/watch?v=Gxp9DzParbw
水に感謝を捧げる祭りの一瞬を、映像が記録した。
● 概要
徳島県海陽町・轟神社の秋季例大祭を記録したYouTube動画。タイトル「水に感謝 ~徳島・轟神社秋季例大祭~ / Todoroki Jinja Shuki Reitaisai」。
轟神社はreki-09に詳述の通り、永原レキ(レキ君)が2019年から総代を務める水の神を祀る古社。秋季例大祭の神輿渡御は「過酷な儀式」として知られ、水に感謝を捧げる祈りの場。
● 映像について
この動画は轟神社の秋季例大祭の様子を記録したもの。詳細な内容は動画で確認できる。
水の神への感謝の祭り——藍染アーティストが総代として立つ神社の一年に一度の祭礼を映した映像として、レキくんの活動と土地の精神文化の両方を理解するための資料。
● 関連
日付: 不明(YouTube公開 / NNN取材)
参加者: 永原レキ(レキ君)ネットワーク / 海陽町・地域創生関連資料
キーワード: 海陽町、カキ養殖、スマート化、雇用創出、地域創生、NNN、徳島、移住、一次産業
出典: YouTube / NNNセレクション(日本テレビ系)
参照URL: https://www.youtube.com/watch?v=0_BDxM17od0
8年越しの夢が、海の底から浮かび上がった。
● 概要
徳島県海陽町でカキ養殖に取り組む男性(38歳)を取材したNNN(日本テレビ系)のニュース映像。「スマート化」や「雇用創出」をキーワードに、地域の一次産業を現代的に再設計しようとする試みを追う。
永原レキ(レキ君)の活動する海陽町では、レキくんの藍染・エビス信仰研究・轟神社活動と並行して、こうした一次産業の革新が起きている。海の恵みと山の技術が重なる土地——海陽町が辺境でありながら「先行して答えを出している場所」である一面を示す映像資料。
● 映像について
この動画はNNNセレクション(NNN = 日本テレビ系ニュースネットワーク)の映像。詳細な内容は動画で確認できる。
「8年越しの夢」という言葉が示す通り、一朝一夕ではない地道な実践の記録。スマート化(IT・テクノロジーの活用)と雇用創出という現代的課題に、一人の人間が8年かけて挑んでいる。
● エッセンス
「辺境から始まる一次産業の革新」
海陽町という最果ての町で、海の幸を武器に地域を変えようとする試み。國永直樹が医療から、永原レキが文化から、そしてこの男性が一次産業から——海陽町が複数の軸で同時に変わりつつある。
● 関連